第十一章 旅行の終わりに

 ホテルに泊まった翌朝、朝食のバイキングは控えめに済ませ、 早めにチェックアウトして魚市場へと向かった。その魚市場は車で行けばすぐに着くような所に有った。 海岸をコンクリートで固め、その上に駐車場と市場が並んでいる。

 早速駐車場に車を停め、天使様達と魚市場に向かう。潮の香りと、少し生臭い魚の匂いが漂ってきた。

「すごーい! どれも美味しそう!」

 店頭に並ぶ沢山の魚を見て、メディチネル様が感嘆の声を上げる。

「すごいね、魚市場ってみんなこんななの?」

「うーん、どうなのでしょう?

東京にも築地に市場が有りますが、僕もこう言った市場に来るのは初めてなので」

「そうなの? ジョルジュ君って案外行動範囲狭いね」

 確かに、僕は行動範囲が狭いけれども。

 少し痛いところを突かれて戸惑ったけれども、そのままお二人を先導して魚市場の中を歩いて行く。ふと、 岩牡蠣を山のように積んで売っている店を見付けた。この店ではすぐに殻を剥いて、 牡蠣を食べさせてくれると言っている。

「この場で牡蠣が食べられるそうですよ」

 昨晩、牡蠣を楽しみにしていたプリンセペル様に声を掛けると、プリンセペル様は早速、 店員に声を掛けて牡蠣を買って剥いて貰っている。剥かれた牡蠣の身は傍目から見てわかるほどに大きく、 ふっくらとしている。海の中で沢山栄養を蓄えて、それがここまで運ばれてきたのだろう。

 そんな立派なものだったけれども、プリンセペル様が買った牡蠣が一個だけだったので、 流石に自重しているのかと思った。

 しかし、ぺろりと一口で食べてこう言った。

「うん、美味しいな。

あと三つ買うから、それも剥いて欲しい」

 自重してなかった。どうやら先程の一個は味見だったらしい。まぁ、 朝食は随分と控えめにしか食べていなかったようだから、大丈夫だとは思うけれど。それにしても、 この魚市場には食の誘惑が多い。ここを抜けるまでに、プリンセペル様が食べすぎてしまわなければ良いのだけれど。

 

 市場をぐるりと一周し、すぐに海浜公園に向かおうかとも思ったのだけれど、天使様達が海を見たいというので、 駐車場から暫く海を眺めていた。

「なんか、砂浜が有るとかじゃ無いんだね」

「そうですね、ここは港ですので、固めているのでしょう」

「日本国の海岸って、みんなこうなの?」

「いえ、砂浜の有るところも有りますよ。

沖縄なんかは、砂浜が綺麗だと聞きますし」

「そうなんだ」

 メディチネル様がそう言って、また海を眺める。ふと、プリンセペル様が呟いた。

「なんとなく、寂しい感じのする海だな」

 寂しい。確かに、言われてみるとそう言う印象を受ける。実際は、海の中には海藻が生えていて、 そこに住む魚たちが沢山居る、豊穣の海なのだろう。それなのに寂しく感じるのは、近くの町にあまり活気が無いからか、 それとも他に理由が有るのか。何故なのかはわからなかったけれども、きっとこれは、わかる必要は無いのだろう。

 

 魚市場から海浜公園に移動し、僕達は早速、先日のようにネモフィラの丘に登った。また写真を撮って、それから、 今日はチューリップや水仙をじっくり見ようと、その場を離れた。

 ネモフィラの丘から暫く歩いて、卵形のオブジェがいくつか置かれた広場に行くと、 色とりどりのチューリップが揺れていた。この公園のこの時期の目玉はネモフィラと言う事だけれども、 なかなかどうして、チューリップの花畑も見事な物だった。色ごと、品種ごとに分けて植えられているところもあるし、 数種類を混ぜて植えているところもあり、ここを無視してしまうのは勿体ないほどだ。

「チューリップもすごいね。写真撮ってシェアしなきゃ」

 そう言って、メディチネル様は頻りにスマートフォンで花畑の写真を撮っている。それ以外の操作はして居ないので、 SNSに載せるのは後でまとめてやるのだろう。

 花の写真をひとしきり撮ったメディチネル様が、またみんなで写真を撮りたいという。例によって僕は、 本当に混ざって良いのかどうか疑問に思いながら天使様達に挟まれて、 写真を撮られる。この不思議な感じと緊張感は暫く忘れられそうに無いな……

 

 昼食とデザートの干し芋タルトを食べた後、僕達は一路、 東京を目指した。今から天使様達が天界に帰れるようにいつもの教会に行くのは無理な時間なのだけれど、 取り敢えず東京まで行って一泊し、それから天使様を見送る予定なのだ。

 泊まるホテルは、初日と同じく新宿のホテルだ。今日はこれ以上東京観光をすると言うことは出来ないけれど、 あのホテルは食事が美味しいので、少なくともプリンセペル様からは苦情が来ないだろう。

 今回の旅行ももう終わりで、やっと緊張から解放されるけれど、いざ終わるとなると少し寂しいね。

 

 新宿のホテルに泊まった翌日、僕は天使様達と一緒にいつもの教会へと訪れた。神父様にはあらかじめ、 何時頃に伺うかをメールで送って置いた。教会の聖堂に入り、神父様と並んで天使様達を見送る。

「それじゃあジョルジュ君、今回はいろいろありがとね」

「なかなかに楽しかった。ありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございました」

 簡単な挨拶をした後、天使様達は眩い光と共に姿を消した。

 ああ、これで本当に今回の役目が終わったのだと、そう思ったら、急に疲れがどっと来て、 思わず神父様に許可を貰って、椅子に座って休ませて貰った。

 

 それから数ヶ月後、僕の元に宅配便が来た。何かと思ったら、 会津でメディチネル様が仕立てを依頼した着物一式が届いたのだ。

 さて、僕の所で一旦これを受け取ったのは良いけれど、 どうやって届いた旨をメディチネル様に知らせれば良いのだろうか。そう思いながら自室に戻ると、 部屋の中にはいつの間に来たのか、メディチネル様が待ち構えていた。

「久しぶりー。

着物届いたんでしょ? 見せて見せて!」

「えっと、はい。届きましたが、ここで開けますか?」

「うん。試着もしたいしね」

 試着と言われても、僕は着物の着付けをどうやれば良いのか知らないのだけれど。思わず戸惑っていると、 メディチネル様がにこりと笑ってこう言った。

「大丈夫。着物の着付けの仕方はちゃんと調べてきたから」

「そうなのですか?

では、早速開けましょう」

 そろそろ天使様が目の前に居るのにも慣れてきたのだろうか。

思ったよりも落ち着いてやりとりをしている自分に驚きながら、荷物のガムテープを剥がす。丁寧に箱を開け、 包みを開け、中から出て来たのは色鮮やかな黄色と赤が縞模様を描く着物だった。

 着物をメディチネル様に手渡すと、早速、今着ているゆったりとした服の上から羽織った。前を合わせてみたり、 少したくし上げたりして、サイズ感を見ているようだ。

「いかがでしょうか?」

「うん、ピッタリに出来てるんじゃないかな? これで僕も着物デビューだね」

 そう言って嬉しそうにするメディチネル様。さらりと着物を脱いで上下逆さまにし、 手際よく畳んでいる。着物が畳み終わった後、宅配便の箱の中に残っていたその他の物を確認すると、 きちんと全て入っていたようだ。

 届いた物を全部箱の中に入れ直し、それを抱えてメディチネル様は言う。

「それじゃあ、荷物の受け取りありがとね。

もう少しゆっくりしていきたいけど、そろそろ帰るね」

「はい。お仕事も忙しいでしょうし、お気をつけて」

「またちょくちょく来るから、その時はよろしく!」

 そう言葉を残してメディチネル様は、眩しい光と共に姿を消した。

 

 それから一年ほど経った頃だろうか。僕が部屋の中で仕事をしていると、突然メディチネル様が顕れてこう言った。

「また日本国を旅行したいんだけど、案内してくれるよね?」

「えっと、はい。余り長くない旅行なら」

 今度はどこが希望なのかはわからないけれど、今度はあの楽しい旅に妻も加えてくれるよう、お願いしよう。

 

†next?†