第六章 純血の狼

 家に戻り装備を調えたミカエルたちは、早速森に分け入っていった。
 昨夜は狼をおびき寄せるために夜動いたけれども、目標がある程度わかっている今は明るいうちに動いた方がいい。その方が狼以外の獣からの危険も少ないのだ。
 ウィスタリアに周囲を伺ってもらい、熊や鹿などを避けながら、森の中を北に進む。木のさざめきに加えて鳥の声も聞こえてのどかな雰囲気だ。トマスが持っている猟銃やルカの背負っている石入りの籠、それにウィスタリアが握っている斧が、必要以上に物々しく感じる。
 どれだけ歩いた頃だろうか、突然ジジが口を開いた。
「百合の匂いだ」
 そこからはジジが一行を先導する。それから間もなく森が開け、目の前に想像よりも大きな百合畑が広がった。
 ここまで来ればジジでなくとも百合の花の匂いを感じる。百合の花に見入るトマスの横で、ミカエルは百合畑の向こうに見えるものを見据える。そこには古びた館があった。
「だれか、あの館の周りが見えるかい?」
 目を細めてそう問いかけるミカエルに反応して、他の四人も館の方を見る。それから、ルカが息を飲んで小声でこう言った。
「……館の周りに、あの狼が何匹かいます。
 まだこちらには気づいていないようですが」
「なるほど。では、先制攻撃を仕掛けてまずはあの狼を駆除しよう。
 今回の黒幕はあの館の中だ」
 ミカエルの言葉に、一行は百合畑に身を潜めながら館に近づく。それから、ミカエルが手で合図を出しルカが狼に投石する。
 狼たちがこちらを向く。すかさずルカが石を投げて一匹ずつ動きを止めていく。それをトマスが順番に猟銃で仕留めていった。ルカの投石を受けたけれどもトマスの弾丸をかわした狼がうなり声を上げ牙を剥いて飛びかかってくる。その狼の頭にウィスタリアが斧を振り下ろす。ミカエルとジジは三人の後ろに下がり、あたりのようすをうかがっている。
 ふと、ルカが投石の手を止める。
「館の外にいる分はこれで全部のようです」
 その言葉を聞いて、ジジが鼻をひくつかせる。
「まだ獣の匂いはするが?」
 続いてウィスタリアも言う。
「館の中から他の狼の声が聞こえる。
 あの中にもまだいるっぽいな」
 警戒するジジとウィスタリアの前に進み出たミカエルが館を指さす。
「中のことは中に入ってからなんとかするしかない。とりあえず入ろう」
 百合畑を抜け、芝生の上に横たわる狼の死骸を横目に見ながら館の入り口に立つ。ミカエルはウィスタリアに扉の向こうの様子をうかがってもらう。
 扉にぴったりと耳をつけたウィスタリアが小声で言う。
「とりあえず、入ってすぐのところにはいない。どこに潜んでるかはわかんないけど」
「なるほど、わかった」
 ミカエルが頷いて重い扉を開ける。扉の先には窓のないエントランスホールがありひんやりとした空気が流れ出てくる。冷たい空気を乱しながら中に入ると、三方の壁にまた扉がある。
 さて、どれが正解か。そう考えながらミカエルがちらりとジジの方を見る。するとジジはウィスタリアと目配せをして、正面の扉を指さした。
「そっちから獣の匂いがする」
 ウィスタリアも同様に指さして言う。
「狼の声と、鉄の音がする」
 ミカエルは頷いて正面の扉に近づき、手をかける。少なくともミカエルには狼の声は聞こえないけれども、ミカエルに聞こえないということは、扉を開けてすぐに襲いかかられることはないだろう。
 そっと扉を開ける。暗い廊下が続いている。獣の匂いが強くなった。
 ジジの鼻とウィスタリアの耳を頼りに、並んでいる部屋のようすを探る。時々ルカが鍵穴から中をのぞき込む限りでは、書物が大量に積まれていたり、なんだかわからない実験機器が置かれているようだ。掃除はされていないけれども、ほこりが積もっているところとそうでないところがあるとルカは言う。それを聞いたミカエルは、この館の主は使用人を雇わずに暮らしているのだろうと推測する。おそらく、行っている実験を使用人にすら見せたくないのだろう。
 そして、ある部屋の前でジジとウィスタリアが足を止める。理由は明確だ。その部屋の中から狼の声が聞こえるのだ。
「どうやらこの中に何匹も狼がいるようだせ」
 ジジが小声でそう言うと、ウィスタリアも小声で言う。
「でも、狼は多分檻に入ってる。鉄の檻が揺れる音がする」
 それなら危険は無いだろうとミカエルが判断し扉に手をかけたその時、トマスが控えめに口を開いた。
「中に人がいます。誰かがこの中で、聖句を唱えています」
 それを聞いてミカエルは確信したように言う。
「どうやら、黒幕もこの中にいるようだね」
 トマスが猟銃を構える準備をし、ルカが投石用の石を握り込んだのを確認してミカエルは扉を開ける。たくさんの視線が一斉に突き刺さる。それは大きな鉄の檻に入れられた何匹もの多様な狼と、聖書を持った壮年の男のものだ。どうやら男は狼たちに餌をやり、聖句を聞かせていたようだった。
 館の主であろう男がミカエルたちを睨みつけながら聖書を閉じる。
「なぜここまで入り込めた。表にいた子たちはどうした」
 その問いにミカエルは堂々と答える。
「悪いですが、すべて駆除させていただきました。
 もちろん、森に放っていたやつらもね」
 ミカエルの言葉を聞いて、男の顔がみるみるうちに怒りに染まる。
「なんてことをしてくれたんだ。あの子たちを作るのに、私がどれだけの時間と苦労をかけたと思っているんだ!」
 狼のように獰猛なその言葉に、ミカエルは悪びれるようすもなく返す。
「そうは申されましてもブラック卿、いくら閣下がオニキス様の従兄弟であっても、あのように危険な生き物を作り出して野放しにしているのは見逃せないのですよ」
 ミカエルとブラックのやりとりを聞いた他の四人に動揺が走る。このふたりが知り合いであることを知らなかったのだ。
 なぜミカエルは知り合いであることを隠していたのか。疑問に思っているようだけれども、今は訊ねるべきタイミングではない。そう判断したようでそれぞれに武器を握り込んだまま黙っている。
 ブラックが怒りを滲ませたまま聖書を握り、威嚇するようにミカエルに言う。
「私はただ、純血の狼をこの世界に取り戻したいだけだ。神が作りたもうたこの世界を、元あった姿にすこしでも近づけたいだけなのになぜ邪魔をする」
 ブラックの言葉にミカエルは部屋の中の狼を目だけで見渡してから返す。
「ブラック卿は純血の狼の姿をご覧になったことがあるのですか?」
「数多くの狼の姿を見ていれば、自ずと類推できる。あの子たちこそ、現状で最も純血に近い狼だったのに……!」
 睨みつけてくるブラックに、ミカエルは肩をすくめる。
「いくら類推できても、作って野放しにされたら困るのですよ。
 あの狼のせいで村人に被害が出ていますし、なにより、滅んだものはもう戻らない」
 ブラックがなおも噛みつくように叫ぶ。
「村人がどうなろうと知ったことではない!
 私が生きている限り、何度でもこの狼たちを交配させて純血の狼を作り出す」
「そうですか。困りましたね」
 興奮しているブラックと緊張で固まっている他の四人に挟まれたまま、ミカエルは悠々と言葉を返す。
「僕はあなたの実験をやめさせたい。
 やめていただくにはどうしたらいいですかね」
 その言葉をブラックは鼻で笑う。
「私を殺すしかないだろうな。
 だが、おまえたちにそんなことができるのか? どうせ人を殺したことがない、殺し方も知らないやつらばかりだろう。
 特にその男」
 突然ブラックに指を指されトマスが身を震わせる。猟銃を持つ手を震わせているトマスを見ながらブラックは言葉を続ける。
「その男は、人を殺すのがおそろしくて騎士をやめた修道士だろう。
 そんな男の仲間になにができる」
 それを聞いたミカエルは、両手を肩のあたりに上げてひらひらと振る。
「おっしゃるとおり。我々は人殺しの経験などありません。獣は殺せても人を殺すのはおそろしいと思っているでしょう。もちろん、人の殺し方など知りません」
 ミカエルの言葉にブラックが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
 その瞬間、ミカエルがトマスの手から猟銃を奪いブラックに駆け寄り、銃口を下からブラックの口に突っ込む。
「でもね、僕はどうやったら人が死ぬかは知っているんだよ」
 ミカエルはためらわずに引き金を引いた。

 

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