第五章 スモークツリー

春の日差しも麗らかな今日この頃、僕は久しぶりに大通りで露店を出した。

今日はエイプリルフールと言う事で、母上がお弁当に持たせてくれた、 小さな鯖のパイを囓りながら店番をしている。

「やあお姉さん、良かったら一緒にお茶でもどうだい?」

「いえ、店番しているので遠慮します。」

相変わらず女装して店番をしていると、偶にナンパされたりとかするのだが、 いい加減断るのも慣れてきた。

前に一度知り合いにナンパされた事があるのだが、その時は冷や汗ものだったなぁ。

だったら女装をやめればいい気はするのだが、 これが一番世間の目を欺けそうな気がするので続けている。

ああそうか、今日はエイプリルフールか。

なかなか言い嘘を、世間様についている気がする。

今日一日騙し通せたら僕の勝ちだな。

いや、何が勝ちなのかは解らないけれど、エイプリルフールに嘘をつき通せると、 何となく達成感が有る気がしないだろうか。

僕はする。

そんなよく解らない事を考えながらお弁当のバスケットをまさぐっていると、 中からカラフルに彩色された茹で卵が出てきた。

そう言えばイースターももうすぐだよな。

ジュエリーをを並べてる台の角を卵で軽く叩き、卵の殻に罅を入れる。

それから、割れた殻を一欠片剥がし、其処に口を付けて息を吹き込む。

こうすると卵の白身と薄皮の間に空気が入って殻が剥きやすいと、何処かで聞いたことがある。

実際そうやって剥くと綺麗に茹で卵がお目見えするので、僕は何時もこうやって剥いている。

それにしても、まだイースターまで間があるのにイースターエッグを入れてくるなんて。

イースター当日は大人しく家に居ろと言う、敬虔なクリスチャンである母上からのメッセージだな、 これは。

自分の構えている露店を見ていく人が余り居ないので、剥いた卵を囓りながら人波を見つめる。

ふと、その中に見覚えのある顔を見つけた。

今日は暇なのか、メチコバールが露店を見ながら通りをぶらついている。

これは拙い。僕は慌てて被っていた鍔の広い帽子を深く被り直す。

だんだんメチコバールが僕の出している露店に近づいてくる。

それに連れて、僕の鼓動も早くなる。

なんとか彼の目に付かない様に出来ない物か。

そうは思っても、下手に挙動不審になっても怪しまれるだけなので、 僕はなるべく平静を装って茹で卵を囓る。

そして、

「やあ、露店で宝石とは珍しい。何時も此処に店を出しているのですか?」

彼は僕の目の前で足を止めて話しかけてきた。

話しかけてくるな!

そう思っても時既に遅し。顔にも出せず。

「そうですね。

偶にしか出さないのですけど、出すときは概ね此処です。」

僕はそつのない笑顔でそう返す。

パーティーで鍛えた作り笑いが、今此処で役に立った。

暫くメチコバールはジュエリーの方をぢっと見ていたのだけれども、 ふっと僕の顔を見てこう言う。

「あれ?

何処かでお会いしたこと有りますか?」

僕は内心ビクついたけれど、なるべく不自然がない様に、

「いえ、断じて間違っても絶対に有りません。」

と否定する。

所がそれが行けなかったのか、メチコバールは益々僕の顔をぢっと見て、

「う~ん、その言葉の回し方が何処かで聞き覚え有るんだよなぁ。」

と呟く。

しまった、迂闊に喋れない。

何かを思い出そうと僕の顔を凝視するメチコバールに、僕は作り笑いを向け続ける。

そうしている事十数秒。彼はふと視線を逸らして呟いた。

「…気のせいか…」

これで何処かに行ってくれるかな。と僕はそう思ったのだけれど、 メチコバールはもう一度僕の顔を見てこう言う。

「それにしてもお綺麗ですね、お嬢さん。」

おいおい、何寝言言ってるんだよ。寝言は寝て言え。

と、うっかり喉から出かかったけれど何とか飲み込む。

「いえ、そんな事無いですよ。」

僕は右手を振って彼の言葉を否定すると、 その振った手をメチコバールが両手で掴んで握りしめる。

「そんな謙遜なさらないで下さい。

知的な顔立ち、白い肌、その魅惑的な唇、何処を取っても素晴らしい。

それに、馥郁たる香りもする。」

母上から借りた香水付けてるから、そりゃあ良い香りもするだろうよ。

とりあえず寝言は寝て言え。

少し興奮気味なメチコバールに、心の中でそう毒づく。

それにしても、正体がばれなかったのは良いとしても、この状況は非常に困った。

グーで殴ってひっぱたいて、そのままトンズラこいちゃ駄目かなぁ…駄目だよなぁ、 そんな事したら不審人物も良い所だ。

僕の困惑も知らずに、メチコバールは手を離さないまま、尚も声を掛けてくる。

「もし宜しかったら一緒にお茶でも如何ですか?」

「いえ、店番をしないといけないので遠慮します。」

これはもうお決まりの断り文句だ。

大体の人はこう言えば諦めてくれるのだが、

「でしたらお店を閉めるまで待ちますよ。」

とのこと。

質の悪いナンパだなぁ。

そうは思ってもいかんせん何をどう上手い事言って退散させればいいのか、 皆目見当もつかなかったので、僕はメチコバールの事を本当に店を閉めるまで放置する事にした。

 

それから数時間後。そろそろ夕飯という時間になり、大通りから人も少なくなってきたので、 露店を閉める準備を始める。

「手伝いましょうか、お嬢さん。」

で、メチコバールはまだ其処に居る訳なのだけど。

「いえ、詰め方にコツが居るので一人でやりますよ。」

そう言って手を出そうとする彼を牽制する。

まあ、実際に複雑な詰め方をするのでコツが居るのは事実だ。

台の上に乗ったジュエリーと敷き布を鞄の中に詰め、台を畳んで紐で括る。

その作業を終えるまで、そんなに時間は掛からない。

片づけが終わって帰ろうとすると、メチコバールが付いてきたので訊ねる。

「あの、何で付いて来るんですか?」

すると、僕の肩に腕を回してこう言った。

「日も暮れて女性一人で帰るのは危ないでしょう。送っていきますよ。」

その言葉を聞き終わるか終わらないか、それくらいのタイミングで、 僕は彼の腕を振り払って走り出した。

もう挙動不審がどうとか言っている場合ではない。

僕の心の限界を超えている。

「急にどうしたんですか、待って下さい!」

そう言いながらメチコバールも走って追ってくるけれど、誰が待つか。

大荷物を持っている分こっちの方が不利な気はするが、 其処は職人の底力と男のプライドを掛けて逃げ切ってやる。

街の路地を何本も何本も走り抜ける。

どれだけ路地を駆け回っただろうか、だんだんメチコバールの気配が遠くなっていく。

完全に彼の気配がしなくなった所で、僕はようやく安心して家路についた。

 

なんとか家に帰って着替えると、食堂で母上が待ちかねていた。

「まったくもー、遅かったじゃない。

何かあったの?」

「ちょっとストーカーを撒くのに、小一時間程街中走り回ってました。」

「ありゃ、随分物騒になったわね。大丈夫だったの?」

「かなり粘着質なストーカーでしたよ。」

もう本人が居ないからと、ここぞとばかりに愚痴る。

でもまあ、余り食事の時にそう言う話をしてもご飯が美味しくなくなるだけなので、 愚痴は程々にしてご飯にありつく。

ふと、お弁当のバスケットに入っていたイースターエッグの事を思いだし、母上に訊ねた。

「そういえば、今年のイースターって何時頃なんですか?」

「イースター?今度の日曜日だけど?」

「今度の日曜日かぁ。

そういえばお得意様がまたジュエリーの依頼しに来るって言ってたなぁ、その日。」

「あらそうなの?早めに話切り上げてね。」

ご飯を食べながらそんなたわいない話をする。

ああ、こんなたわいのない話をして早く今日有った事を忘れてしまいたいよ。

そう思いながらご飯を食べる僕は、いつもよりも少し、口数が多かったのだった。

 

それから数日後の日曜日。

予定通りお得意様がジュエリーの注文をしに来た。

先日、漆塗りの簪を頼んだあの人である。

「今回はどう言った物をご希望ですか?」

僕がメモを片手に訊ねると、彼は感慨深そうに話す。

「来月娘の誕生日でね、誕生日プレゼントにエメラルドを贈りたいんだよ。

それで、今までネックレスとか、ブローチとかあげてたから、 今度は髪飾りが良いかな何て思ってね。」

「髪飾りですか。」

髪飾りと言えば、この人先々月も髪飾りの類を注文してきたよなぁ。

その時作ったのと非常によく似た簪をパーティーで母上が使ってたけど気のせいかなぁ。

そんな事が頭を過ぎる。

でも、訊くにしても割とどうでも良い内容なので、余り気にせずに注文を詳しく訊ねた。

 

仕事が終わり夕食の時間。

今日はイースターなので、いつもよりも食事が少し豪華だ。

その食事の席で、僕は昼間気になった事を母上に尋ねる。

「そう言えば母上、漆塗りの簪を父上から貰ったって言ってましたよね。」

「うん、貰ったけどそれが何か?」

突然の話題に母上が意外そうな顔をする。

「あのですね、今日ジュエリーの発注をしていったお得意様に、 前に頼まれて作った漆塗りの簪が有るんですよ。」

「うん、それで?」

「それで、その時作った簪と母上が持ってる簪凄く似てるな~と思ったんです。」

「あらそうなの?偶然じゃない?」

「偶然ですかねぇ。」

偶然と言われてしまえばそれまでだ。

確かに形的にも解りやすい作りだし、 他に漆塗りが出来る職人がいれば簡単に作れてしまうだろう。

もしかしたら僕がその事を気にしたのは、あの人が父上かも知れないと言う、 そこはかとない期待感からかも知れない。

父上に会った事がないのを、僕は気にしていないと思っていたのだけれど、 心の底では違うのかなぁ。

イースターは、家族で揃って御馳走を食べたりして祝う物だと母上が昔から言っているけれど、 うちは家族と言っても僕と母上しか居ない。

子供の頃は沢山家族が集まって、賑やかな食卓を囲む家が羨ましかった。

子供の頃は父上が居てくれれば良いのにと良く思っていた。

今ではそんな事はないのだけれど、きっとその頃の心持ちをまだ引きずって居るんだろう。

そんな事を考えながら、僕はイースターの御馳走をいただいたのだった。

 

イースターも過ぎて暖かい日差しの射す今日この頃、 僕は依頼の品を作るために工房に籠もっている。

髪飾りの形が概ね出来上がって来ているので、今月中には出来上がりそうな感じだ。

『これを使ってくれ』と渡されたエメラルドは、罅が入っている物の、 親指の爪程もある大振りな物で、とても深い色をしている。

このエメラルドに合わせて枠を作っている訳なのだけれど、こんな見事なエメラルド、 出来る事なら僕が欲しい。

エメラルドの素晴らしさにうっとりしながら作業をしていると、メイドが僕のことを呼びに来た。

ああ、そろそろアフタヌーンティーの時間だ。

僕はそっと作業台の上に出来かけの髪飾りを置き、作業着の埃を払った。

 

「デューク、お友達が来てるわよ。」

応接間に行くと、母上とメチコバールが座って待っていた。

正直心のほとぼりが冷めるまで、メチコバールには会いたくなかったんだけどなぁ。

でも、それを表に出して深く突っ込まれても気まずいので至って平静を装う。

「やあ、メチコバール久しぶりだね。」

そう言って椅子に座ると、テーブルの上にはお茶とお茶請けとおぼしき茶色い物体が乗っていた。

その茶色い物体をピックで刺して持ち上げ、尋ねる。

「この茶色い物は一体…?」

すると母上がお茶を飲みながら答える。

「『ピータン』っていう、東洋で作られている卵の薫製らしいわよ。

メチコバール君が持ってきてくれたの。」

「へぇ、そうなんだ。ありがとう。」

「まあ、食べてみてくれ。」

メチコバールの勧めでピータンを一切れ口に放り込むと、プリッとした白身の食感と、 とろけるような黄味の食感、それから香ばしい薫製の香りが口の中に広がった。

「美味しいね、これ。」

これに合わせるお茶は一体何だろう。

そう思いながら一口お茶を飲むと、やはり燻した感じの香りがする。ラプサンスーチョンだ。

美味しい物がでてきたので、上機嫌でお茶をいただく僕に、メチコバールがこう尋ねてきた。

「そう言えばデューク、お前宝石扱ってたよな。」

「え?まあ、ジュエリー作ってるからね。」

何故今更そんな事を訊くのだろう。僕は不思議に思った。

メチコバール曰く、

「先日街の大通りで露店を出していた女性が居てね、その人が宝石を売っていたんだよ。

その人を一目見てからずっと頭から離れなくて、また会えないかと思ってね。

宝石を扱ってるんだったらデュークの知り合いか何かじゃないだろうかと思って訊いてみたのだが、 知らないか?」

とのこと。

多分、いや、確実にそれは僕だ。

しかしそんな事を言える訳もなく…

「いや、判らないなぁ。

知らない人だと思うよ。」

僕がしらを切り通そうとすると、今度は母上が口を開いた。

「あら、その宝石を売っていた方って、どんな方かしら?」

その問いにメチコバールは夢見がちになりながら答える。

「それはもう美しい方でしたよ。

知的な顔立ち、澄んだ瞳、ふっくらとした唇、艶やかな髪、 そして言葉数が少ないのがまた奥ゆかしさを感じさせる人で…」

言葉数が少なかったのは、下手に喋ると正体がばれるからだよ。

そうは思ったけど言わないでおく。

黙ってメチコバールの話を聞いていると、母上が突然、こんな事を言いだした。

「メチコバール君、いまお付き合いしてる人居なかったわよね。

なんだったらその人のこと捕まえてお付き合いしてみたら?」

な…何て事言うんですか母上!

母上のショッキングな発言に思わず噎せてしまう。

「どうした、大丈夫か?」

「うん、ちょっと卵の黄身で噎せただけ…」

心配そうな顔をするメチコバールに軽く返事を返し、平静を保とうとお茶を一口飲む。

落ち着け自分、とりあえず、 どうやったらメチコバールに女装した僕のことを諦めさせられるか考えるんだ。

僕はラプサンスーチョンの薫香を嗅ぎながら頭を働かせる。

そうだ、そうそう会える物ではないと解れば諦めてくれないかな。

「メチコバール、その人ってさ、何時もお店出してるのかい?」

僕の問いにメチコバールは何かを思い出そうとしながら答える。

「いつも?

いつもではないと言っていた気がするな。

偶に出してるとかそんな事を聞いた気がする。」

「それじゃあ何時見つけられるか判らないじゃないか。どうするの?」

「う~ん…」

よし、悩み始めた。後一押しで諦めてくれるかな。

「大通りは人通りも多いし、何時お店出してるのか判らないんじゃ、 もう会えないと思った方が良いんじゃないかな?」

こう言っておけば諦めるだろう。

僕はそう思ったのだけれど、

「いや、もう会えないなんて事はないだろう。

きっとまた会える!私は諦めない!」

彼は決意表明してしまった。

「頑張ってねメチコバール君、私も応援してるから。」

母上までそんな事を言い始める始末。

困ったなぁ…僕、これから露店出す時場所変えた方が良いかもしれない。

あの場所で割と定着してたんだけどなぁ…

そんな事を考えて、メチコバールの事が上の空で居たら、突然話しかけられた。

「デューク、お前も何かその人について話を聞いたとか何かあったら教えてくれ。

私は毎日大通りに見に行ってみようと思う。」

毎日かよ!

医者の仕事はどうしたこのストーカー!

正直そう言ってしまいたかったが、そんな事を言えるほど僕は気が強くない。

だから、

「うん、多分聞いても解らないと思うけど判ったよ。」

とお茶を濁して置いた。

 

今日の花は「スモークツリー」

花言葉は「煙に巻く」

その花言葉通り、僕もメチコバールの事を煙に巻きたいと、本気でそう思った。

 

†next?†