メリーアンに占いをして貰った次の日、僕はメチコバールの家を訊ねた。
「どうした、お前の方から来るなんて珍しい。」
「いやぁ、今日は一寸相談があって。」
「まぁ、中に入れ。」
すぐに応接間の方に通されたけれど、ふとメチコバールが立ち止まって僕に訊ねる。
「もしかして診察室の方が良いのか?
最近の体調を鑑みるに。」
「ああ、うん。その方が良いかもしれない。」
「わかった。じゃあこっちだな。」
そう言って彼は向き直って他の部屋へと歩き出す。
僕は何度か病気をした時に彼に掛かった事があるのだけれど、 何時も家まで来て貰っていたので診察室に入るのは多分初めてだ。
診察室に入ると、そこには小さな机が一つとと椅子が二つ。
それから簡単なベッドが一つ置かれている。
それ以外には、壁一面にある棚の中に薬の瓶が沢山置いてある。
「まあ、とりあえず座れ。」
メチコバールが机の側にある椅子に座り、手前側の椅子を僕に勧めるので、僕はそこに座った。
「さて、今日はどうした。」
足を組み、机の上にメモの様な物を用意したメチコバールが訊ねる。
「実は昨日、何で体調が悪いのか占い師の人に見て貰ったんだよ。」
僕がそう言うと、彼は怪訝そうな顔になり、僕に言う。
「何だ、占い師に何て見て貰ったのか。そんな信憑性のない。」
ちょっとこの言い方はカチンとくるなぁ。
だから思わず彼に言い返した。
「だって、他に頼る所が無かったんだから仕方ないじゃないか。」
「私に言えば良かっただろうが。」
「この前診た時『皆目見当も付かない』とか言ってたのは誰?」
「う…いや、まぁ、そうなのだが…」
思わず黙るメチコバール。
いや、そうじゃなくて。ここで喧嘩してる場合じゃないんだよ。
頭の中で言うべき事を整理して、改めてメチコバールに言う。
「で、占って貰って解ったのが、どうやら毒を盛られてるらしいと言う事なんだけど。」
「ふむ…その話は前にも出たな。
しかし、前に診た感じそんな兆候は見られなかったが。」
ああやっぱり。傍目だと全く解らないんだ。
「僕もそう思ったんだけど、何でも肌が白いのが何よりの証拠とか、 髪に毒が溜まっているとか言われて、医者に診て貰った方が良いって。」
「肌が白いのが?
そうは言ってもお前は昔から肌が白いじゃないか。
……ん?」
メチコバールはそこまで言って首を傾げる。
それから、何かを思い出そうとしているのか、人差し指で机の上をコツコツと叩く。
暫く難しい顔をして考え込んだ後、彼は僕に訊いてきた。
「そう言えば、私が今まで診た患者でジュエリーの職人は何人もいるが、 皆一様に手が焼けて黒かったな。
鑞付けで火を使うことが多いからと聞いたのだが、お前は余り鑞付けとかをしないのか?」
「え、結構してるよ。
鑞付けしないと出来上がらないのが殆どだし。」
「それでもお前の手は全く焼けていないのか?」
「今まで疑問に思わなかったけど、そうなんだよね。」
僕が答えると、彼はまた考え込んで、難しい顔をする。
「…お前、毒が髪に溜まっていると言ったな。
検査をしてみるから何本か髪の毛を貰って良いか?」
「ああ、うん。良いよ。」
僕は髪の毛を何本か抜いて、メチコバールに渡す。
彼は渡された髪の毛を小さな紙に包んで、机の上に置いて僕に言う。
「今までお前の事を診てきた身として先に言わせて貰う。
もし本当に毒が検出されたら、もう手遅れかも知れない。」
「え?ちょっと、いきなり何で手遅れって話になるの?」
余りにも突然の事に僕は困惑する。
だってまだ死ねないよ。
メリーアンに指輪を作るって約束したし。
確かに占いでも何年も前から毒を盛られているとは言われたけど、 そこまで深刻だなんて思いたくない。
「もうお前と知り合って十年位になるか。
その肌の白さは会った時からの物だ。
その白さが毒由来の物であったら、知り合った当初には既に毒を盛られていたと言う事になる。」
そんなに昔からなの?それは余りにも意外だ。
「でも、そんなに昔から盛られてたら、とっくに死んでても良いような物じゃない?」
僕の言葉にメチコバールは首を振って言う。
「この長年の間、ごく微量ずつ食べさせるなり飲ませるなりしていたんだろうな。」
何だかだんだん怖くなってきた。
僕はどうしたら良いんだろう。
不安で泣きそうになる僕に、メチコバールが声を掛ける。
「まぁ、検査の結果次第だな。
結果が出ないと中和剤の出し様も無い。
そんなに不安がるな。」
不安を煽ってるのは誰だよ!
そう思ったけど、多分心配しての事だよなぁ。
「そう言えば。」
メチコバールがまた思い出した様に首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや、お前占い師に毒を盛られていると言われたのだろう?
だったら、誰に盛られているのか聞いたのか?」
「あ。」
しまった、肝心な所を聞くのを忘れていた。
「え~と、その、肝心な所を聞き忘れてて…」
「なんだ、折角占って貰ったのに聞いていないのか。」
呆れた様にそう言うメチコバールに、僕が返す。
「さっき占いなんて信憑性がないとか言ってなかった?」
「いや、信憑性の程は定かではないのはそうなんだが、お前がさっき言っていた様に、 これは他に頼る所がないからな。
誰か目撃証言があるなら兎も角。」
目撃証言って。そんなものあったら僕は今頃もっと健康だよ。
「僕、そんな殺される程恨み買うような事したかなぁ…」
だんだん鬱になってきて、思わずぽつりとそう漏らす。
「そこなんだよな。
恨みを持った人物が、そんなに昔から居ると言う事自体が考えられん。」
メチコバールはそう言うけれど、 何だかだんだん自分が過去にとんでもない過ちを犯したのではないかと言う気がしてくる。
どうしよう、思考がどんどん悪い方向に落ちていく。
「どうしたら良いんだろう…」
自分でも驚く位か細い声が口から出てくる。
僕がこんな様子な物だから、メチコバールは始終困った顔のままだ。
「とりあえず落ち着け。
検査をしてみない事には何も始まらないだろう。
検査の結果で何もないかも知れないしな。」
その言葉に僕は渋々納得し、メチコバールの家を後にしたのだった。
メチコバールに頼んだ検査は、結果が出るまでに何日か掛かると言う事だったので、 僕はその間、殆ど家のベッドで過ごしていた。
いかんせん、体がだるくて仕方がない。
何だかメチコバールの家に行った時よりも、また体力が落ちている感じだ。
なので最近は、お茶の時間も余りベッドから離れることはない。
「お茶、持ってきたぞ。」
「ああ、ありがとう。」
僕がベッドでずっと寝ている様になってから、毎日ソンメルソがお茶を持ってきてくれている。
悪いなぁとは思うのだけど、
「気にするな。
体調が悪い時は無理しないで養生しろ。」
との事なので、余り気にしないようにしている。
二人で暫く話をしていると、メイドが一人やって来て、僕に告げる。
「お話中失礼します。
これからデューク様のお父上がお見舞いにいらっしゃるとの事です。」
「え?父上が?」
まさか父上が来るとは思わなかったな。
今まで一度も顔を見せた事がないのに、今更と言う気がしないでもないが。
僕がメイドを下がらせると、ソンメルソが席を立つ。
「父君が来るのだったら、俺は帰った方が良いかな。」
「ああ、ごめん。そうしてくれると助かる。」
正直な所、初めて会う父上が来るに際して誰かしら居て欲しい気がするのだが。
でもまぁ、引き留めるのも何だし、ソンメルソがドアから出ていくのを、 僕はベッドの上から見送った。
暫くベッドの上で大人しくしていると、ドアをノックする音が聞こえた。
多分、父上が来たんだろう。
僕が返事を返すとドアが開き、そこに立っていたのは意外にもメリーアンとその父君だった。
「あれ?」
すっかり父上が来る者だとばかり思っていたので、 ちょっと拍子抜けして間抜けな声が出てしまった。
「どうしたのかね?」
「いや、何でもないです。
今日はわざわざ有り難うございます。」
この人がお見舞いに来てくれるなんて、本当に意外だ。
「いやぁ、アーちゃんからいよいよ危ないんじゃないかって話を聞いて、 慌ててお見舞いに来たんだよ。」
え?アーちゃんって…
「あの、失礼ですが、母上とお知り合いなんですか?」
何時も僕に注文をしてくれるとは言え、母上とこの人が知り合いだなんて、 そんな話は聞いたことがない。
すると彼曰く、
「何を言ってるんだ。
知り合いも何も、私は君の父親じゃないか。」
「え?」
ちょっと待って、そんな話聞いた事が無い。
「待って下さい、そんなの初耳です。
僕はずっと父上と一度も会ったことがない物だとばかり…」
慌てふためく僕に、彼はのんびりと言う。
「おやおや、アーちゃん言い忘れてたのかな。」
言い忘れてたとか、そんな一言で片づけられる問題じゃないと思う。
「デューク、もしかしてずっとご存じ無かったの?」
メリーアンまでそう言い出す始末。
なんだよ、知らなかったの僕だけ?
誰かもっと早く教えてよぉ…
ってあれ?僕の頭にふと疑問が過ぎる。
「貴方が僕の父上と言う事は、メリーアンは僕の姉か妹と言う事になるんですか?」
僕の言葉に父上とメリーアンは顔を見合わせてから僕に言う。
「そうなりますね。」
「メリーアンの方が年下だから妹かな?
でもまぁ、腹違いだし婚約に支障はないよ。」
「はぁ、支障はないですか…」
僕が気にしたのは、まぁ、父上が言う様に婚約のことな訳で。
支障はないと言われてちょっと一安心かな?
「君さえ良ければ、体が治った後すぐ挙式をしたいんだけどねぇ。」
「お父様、気が早いですよ。」
父上の言葉にメリーアンは顔を真っ赤にする。
可愛いなぁ。
「じゃあ僕も頑張って治して婚約指輪作らないと。
ねぇ、メリーアン。」
「…そうですね。」
僕がそう言うと、メリーアンは益々顔を赤くして俯いてしまった。
そんな感じで、初めて会うと思っていた父上との面会もスムーズで、始終和やかな雰囲気だった。
数日後。僕の所に陰鬱な顔をしたメチコバールがやって来た。
「…どうしたのメチコバール。身内に不幸がが有った様な顔をして…」
「様なじゃなくて有ったんだ。」
「あ、それはご愁傷様です。」
「お前だお前!お前に不幸が有ったんだ!」
「え?どう言うこと?」
若干このやり取りはコントみたいかも知れないと思いながらも、 僕に不幸が有ったというのは一体どう言う事なのか訊ねる。
「良いか心して聞け。
先日検査すると言ってお前の髪の毛を数本貰っただろう。
検査の結果、それから高濃度の砒素が検出された。」
「砒素って…」
砒素と言えば暗殺などに使われる、割とポピュラーな毒物だ。
そんな物が僕の髪の毛から出たって事は…
「僕、やっぱり毒を盛られてたの?」
「そう言う事になる。」
やっぱり。でも、誰がそんな事を。
「尋常じゃない量だった。
正直、もう私の手には負えない…」
そんな、そんなのって無いよ!
正直ショックを隠しきれない。
なんで自分がそんな目に遭わなくてはならないのか、全く見当が付かなかった。
メリーアンと約束だってしたのに、そんな…
項垂れる僕に、メチコバールが言う。
「だが、代わりに誰が毒を盛っていたのか、色々と聞き込みをして見当は付けた。
後は吐かせるだけだ。」
そう言うメチコバールの目は暗く、奥で何か渦巻いている感じだ。
そんな彼が震える僕の手を取る。
「すまない、私がもっと早く気づいていればこんな事には…」
泣きそうな声でメチコバールがそう言う。
ふと、誰かがドアをノックした。
僕が返事をして中にはいるように言うと、 入ってきたのはいつもの様にお茶を持ったソンメルソだった。
「な、なんだ、居たのかメチコバール。
デューク、お茶を持ってきたぞ。」
ソンメルソはメチコバールが居るのを見て、居るのが意外だったのか驚いたような様子を見せる。
そう言えばお茶を持ってくる時は、何時も周りに人が居ない時だったな。
お茶を僕に渡そうとしたソンメルソに、メチコバールが声を掛ける。
「ちょっと待て。
その紅茶、少し貰って検査させて貰って良いかな?」
その言葉にソンメルソは戸惑う。
「何でだよ。」
「使用人に色々訊いて回っていたらな、お前が何時もデュークの所に持って行っているお茶の中に、 紙に包まれた粉を入れているのを見た事が有るという証言が取れた。」
メチコバールの言葉に、ソンメルソの顔色が悪くなる。
「砂糖を、入れてるだけだ。」
彼はそう言うけれど、僕が何時も入れて貰っている紅茶は、砂糖の味なんか全然しない。
「入れているのが砂糖だったら検査に出しても何ら差し支えがないだろう。
万が一の事を考えての検査だからな、協力して貰おうか。」
つまり、メチコバールはこう言いたい訳だ。
毒を盛っていたのはソンメルソだと。
進退窮まったと言った様子のソンメルソは突然、手に持っていた、 まだ熱そうな紅茶をメチコバールにぶちまけた。
「熱っ!何をする!」
「これで検査できる物ならして見ろ!」
「貴様…!」
お茶を掛けられたメチコバールがソンメルソの胸ぐらを掴もうとしたら、 ソンメルソが殴りかかり、そのまま殴り合いの喧嘩になる。
その様子を、僕は呆然と見ているしかなかった。
ソンメルソの行動を考えると、彼が僕に毒を盛っていたというのは確定だろう。
だけれども、その原因が分からなかった。
僕は昔、そんなに酷い事を彼にしたんだろうかとか、そんな事で頭が一杯になる。
とにかく、全ての事がショックだった。
そんな中、ふと我に返る。
「とりあえず、二人とも喧嘩はやめてよ。」
部屋の中で殴り合いを続ける二人を止めないと。
「何を言うデューク、こいつはお前を殺そうとしてたんだぞ!」
僕の言葉にメチコバールが怒り冷めやらぬと言った口調でそう言う。
「でも、殴ったからってどうなる物でもないでしょう。
ソンメルソも、やめてよ…」
思わず泣きそうな声になる。
そんな僕の様子を見てか、二人はようやく落ち着いて、お互い距離を取る。
少しそのまま間を置き、僕も自分が落ち着いた所でソンメルソに訊ねた。
「何で、僕を殺そうと思ったの?」
昔の恨み事なんて、今謝っても遅いかも知れないけど、知りたかった。
ばつが悪そうな顔をして、ソンメルソは俯き、小さく口を開く。
「…ずっと昔から、お前の事が好きだった…」
え?ちょっと待って、ここまで来てまた別の衝撃の展開が。
思わず動揺する僕を余所に、ソンメルソは言葉を続ける。
「けど、それは神の教えに背く事だから絶対に言えないと思った。
それでもどうしても諦められなくて、 いっそ殺して自分の物にしようと思ったのが事の始まりだ。」
それを聞いて、正直自分勝手だという思いも有ったけれど、 もし自分がそうだったら、そう思った。
やっぱり同じ事を考えるかも知れない。
知り合ってから十年と少し、その分のソンメルソの想いが切なかった。
先程まで怒り心頭だったメチコバールも、複雑そうな顔をしている。
きっと何か思う所でも有るのだろう。
僕は何も言わず、手招きでソンメルソをベッドの近くまで呼ぶ。
戸惑いながらも僕の横に来たソンメルソの腕を勢い良く引き寄せて、 倒れ込んできた彼の体をそっと抱きしめた。
「ごめんね、ずっと気づかなくて。
辛かったね。」
僕がそう言うと、ソンメルソは僕の胸に顔を伏せて嗚咽を漏らす。
僕がもう助からないのなら、せめてずっと辛かった彼の事を許そう。
メリーアンとの約束を守れないのは心残りだけど、もう仕方がない。
僕はただ、窓の外で落ち続ける銀杏の様な切なさに包まれていた。
それから暫く経ったある日の事、苦し紛れに出して貰っていた中和剤の効果も空しく、 僕は色々な人に見守られる中息を引き取った。
今日の花は「銀杏」
花言葉は「鎮魂」
その花言葉通り、銀杏の葉の舞い落ちる季節、僕の魂は永遠の眠りについた。