第十章 マリーゴールド

厳しい残暑が続く今日この頃、僕は依然震えが止まらない手で、騙し騙し作業をしていた。

そんな事だから、作業速度は前よりも格段に遅くなってしまっている。

…困ったなぁ…

この震えが夏バテから来てる物だとしたら、早く治さなくてはいけないのだけれど、 夏バテを治すのには食事を取る事が必要だ。

だけれども、ここ最近どういう訳か食欲も落ちてしまっていてなかなか食事が喉を通らない。

酷い時なんかは食べた物を戻してしまうこともある。

それも夏バテと言えば夏バテのような気もするのだが。

完全に悪循環に陥っているような気がするのは気のせいだろうか。

しかし、兎にも角にも仕事はしなければならないので、 僕は毎日気力を振り絞って作業台に向かっていた。

今日も作業台に向かうこと暫く、手の震えは酷くなる一方だ。

この分だと今日はもう作業が出来ないな。

そう思った僕は、作業着を脱いで部屋に戻った。

 

部屋に戻り、暫くベッドの上で寝ていると、 アフタヌーンティーの準備が出来たとメイドが呼びに来た。

応接間に行くと、母上とメチコバールが待っている。

僕は軽く挨拶をして、いつもの様に席に着く。

「デューク、あなた部屋に居たみたいだけど調子悪いの?」

母上がお茶を飲みながらそう訊ねてきたので、僕は簡単に答える。

「大丈夫ですよ。

ちょっとだるいだけなので。」

それを聞いた母上が、今度は酸っぱい顔になる。

「だるいって、どうしちゃったの?

最近食欲もないみたいだし。」

「ちょっと夏バテしてるみたいなんですよ。

多分その内治るんじゃないかと。」

「そーお?なら良いんだけど。」

そんな僕と母上のやり取りを、メチコバールが渋い顔をしながら聞いている。

その顔がたまたま僕の目に付いた。

「どうしたの、メチコバール。」

「いや、夏バテにしてはちょっと長引きすぎかなと。

でもまあ、体が弱いとこんな物かも知れないな。

デュークは元々体が弱いみたいだし。」

どうやら僕の夏バテの具合が気になった様子。

「折角持ってきたウナギも効かなかったか。」

そう言って彼は溜息をつく。

あのウナギ、薬のつもりで持って来てたのかなぁ…

 

三人で話をすること暫く、話は僕の体調から今度有るパーティーへと移り変わっていた。

「今年もやるみたいよ、夜の野外パーティー。」

母上が言っている夜の野外パーティーというのは、毎年の様に、 季候の良いこの時期になると催されるパーティーで、星空を楽しむためのパーティーだ。

大体は月が綺麗な満月の夜に行われる。

パーティーが余り好きでなかった僕も、この夜の野外パーティーだけは毎年楽しみな物で。

しかし母上は少し顔を曇らせてこう言う。

「でもねぇ、体調悪いんじゃデュークは一緒に行けないかしら?」

続いてメチコバールもこう言う。

「そうですね、ちょっと今度は休ませて置いた方が良いのではないかと。」

え、僕野外パーティーは行くつもりだったんだけど。

だから僕は慌てて二人に言った。

「今調子が悪いだけで、パーティーの時までには治るかも知れないし、大丈夫だよ。」

しかしまだ母上は不安そうな様子のまま。

「まぁ、行けそうだったら止めはしないけど、当日凄く調子悪そうだったら行かせないからね。」

メチコバールも何だか不満そうだ。

「無理はするなよ。」

なんか凄く心配されてるなぁ。

そんなに心配する程の事でもないと思うんだけど。

やれやれ。と思いながら、僕はお茶請けのスコーンを囓った。

 

そして来るパーティー当日。

今日は僕が期待していた通り、満天の星と大きな月が空に浮かんでいる。

何本もの松明で照らされているテーブルも、グラスが光を反射してとても幻想的だ。

僕は毎年この満天の星空の下で食事を食べるのが楽しみで、 時期が近くなると居ても立っても居られなくなる程だ。

夜空なんていつでも見られると思うだろうけれど、素敵なのは夜空だけじゃなくて、 さっき挙げたように松明で照らされたテーブルも素敵で。

周りの景色が夜空に溶け込んだり、浮かび上がったりしている様が、僕は好きだ。

しかし、その珍しく好きなパーティーに来ても、相変わらず食欲が奮わず、 まだ食事に手を着けていない。

でも、まあいいや、眺めてるだけでも風流な物だから。

そう思って僕はお茶を飲むのだった。

 

テーブルの側でお茶を飲んでいると、いつもの様に姦しい二人組がやってきた。

「ごきげんようデューク。最近どう?」

「やぁ、エメラダ。お陰様で元気だよ。」

余り元気ではないのだが、素直に調子が悪いと言ってしまうと何を言われるか解った物じゃない。

だから僕は適当に返しておく。

すると今度はロザリンが話しかけてきた。

「ねぇデューク、お仕事の方はどう?

私、お父様に頼んで貴方にジュエリーの依頼をして貰ったのよ。」

「え、嘘。」

どれの事だ。何か何時も見かけない人から依頼を受けたなとは思ったんだけど…

「そうなのよ、ロザリンったらずるいの。

私もデュークに何か作って貰いたいわ。」

そう言ってエメラダは拗ねたような顔をする。

いや、それよりもロザリンのお父さんの依頼ってどれだ。

頭の中に最近作ったジュエリーの数々が現れては消えていく。

「あの、ロザリン、どんなジュエリーをお父さんが依頼したか解る?」

僕がおずおずとそう訊くと、ロザリンは嬉しそうに答える。

「勿論よ!

あのね、オニキスって言う石の上にダイヤを填め込んだ指輪なの。

デザイン画見たけどとっても素敵だったわ!

出来上がるまでにまだ時間掛かるかしら?」

「ああ、うん、もうすぐ出来るよ。」

成る程、先月辺りから手こずらせられてるアレか。

本当はもう出来上がっているのだが、まだ依頼主の手元に渡していないのだ。

アレがロザリンの依頼となると、なんだか複雑な気分だけどまあ仕事は仕事。仕方がない。

「所でデューク、貴方お付き合いしてる方居るの?」

はい?何でいきなりそんな話に。

エメラダの突然の話に僕は戸惑いを隠せない。

「私も気になるわ。どうなの?」

ロザリンも興味津々と言った顔で問いかけてくる。

「あいやっ…なんで急にそんな話に…」

しどろもどろしている僕の態度を見て、二人が口々に言う。

「だって、前回のパーティーの時も、その前のパーティーの時も、 他の女の人と一緒に居たんですもの。」

「そうよそうよ。

私達以外の女の人と一緒に居るなんて。

お付き合いしてる人なの?

それとも話しかけられただけなの?」

他の女の人と言うのはメリーアンの事だろうか。一緒に居たと言う事は多分メリーアンだろうな。

何故か不満げな顔をしている二人に僕は恐る恐る訊ねる。

「えっと…お付き合いして無くて話しかけられただけってなると、どうなの?」

どうなのと訊くのもどうかと思うが、それ以外に何とも言葉が思いつかない。

一方のエメラダとロザリンは、僕の問いに息巻いて答える。

「お付き合いしていないんだったら、私とお付き合いして欲しいなって思うの。」

「だめよ、お付き合いしてる人が居ないんだったら私とお付き合いして貰うんだから。」

しまった、余計な事訊かなければ良かった。

このままだと二人ともとんでもない事を言い出しかねないので、 僕は慌てて自分の言葉に訂正を入れる。

「今のはあくまでも、もしもの話であって…

僕、その、前回のパーティーの時に一緒に居た人とお付き合いして居るんだ。

で、えーと…二人とも、そう言う訳だから。」

すると何が不満なのか、二人が益々不満そうな顔になる。

「そんなぁ、私お付き合いするなら絶対デュークとって決めてたのに!」

決めてたのにって待ってよ。

僕はそんな話知らない。

悔しそうにそう零すロザリンに続き、エメラダも悔しそうに言う。

「本当に残念だわ。私もお付き合いするならデュークとと思っていたもの。」

二人して同じ事言ってる…

そんな事を言われても、正直この二人は余り好みのタイプでは無いしなぁ。

仮に、誰とも付き合っていなくっても、この二人はご勘弁願いたい。

何か嫌な空気が流れてきたので、僕はそろそろこの場から立ち去ってメリーアンを探したいな。

「えっと、それじゃあ二人とも。

僕、これからそのお付き合いしてる人探すんでこの辺で失礼するよ。」

僕がそう言って立ち去ろうとすると、

「え~、もっと私達とお話ししましょうよ。」

と言って、二人ともなかなか離してくれない。

困ったなぁ。どうした物か。

僕が助けを求める様に周りを見渡すと、暗がりの中、 僕の方へ向かって歩いてくる人影を見つけた。

誰だろう。そう思ってぢっと見ていると、だんだん顔がはっきりしてきた。

その人は僕の近くまで来ると、僕を取り囲んでいる二人のことも気にせず、話しかけてくる。

「ごきげんようデューク。近頃は如何?」

誰かと思ったらメリーアンだ。丁度良い所に来てくれた。

「やぁメリーアン、これから探しに行こうと思ってた所だよ。」

僕はメリーアンに声を掛け、彼女の手を取る。

それから、ロザリンとエメラダの方に向き直り、二人に言う。

「彼女が今僕とお付き合いしている人だよ。」

二人にメリーアンを紹介すると、メリーアンも名乗る。

「メリーアンと申します。よしなに。」

呆気にとられた顔をするロザリンとエメラダ。

それを見た僕は、良し今だと言わんばかりに畳みかける。

「それじゃあ、これから彼女と二人で話をしたいから、ロザリンとエメラダは悪いけどこの辺で。

行こう、メリーアン。」

「はい、デューク。」

そう言って、僕とメリーアンは二人に背を向ける。

「えっ…ちょっと…」

はっとした様な声をエメラダが上げているけれど、構っていたら本当にきりがない。

なので、エメラダの声は聞こえなかった事にしてその場を後にした。

 

メリーアンを連れて、パーティー会場の隅の方へ移動し、何とか一息を付く。

「…疲れた…」

思わず本音を零す僕を見て、メリーアンが苦笑する。

「暫く見てましたけど、大変そうでしたね。」

「え?暫くって?」

「あのお二方に話しかけられているのを暫く見ていたんですけど、何というか…」

見てたんだ、参ったなぁ。

苦笑しているメリーアンを見て、何故かそう思う。

「パーティーの時良く話しかけて来るんだけど、捌くのが大変で。」

捌く、と言うのも何だけど、何というかそれが事実なもので。

そんな僕の言葉に、メリーアンは僕に言う。

「捕まった辺りから見ていたんですけどね。

何時あの二人から抜け出せるかなって。

良く話しかけられているのは前から見てて知っていたので。」

成る程、道理でタイミング良く来たと思ったら、始めから見ていたのか。

それを知って僕は思わず苦笑いする。

「意地が悪いと思いました?」

扇子で口元を隠して、笑っているのだろうか、少し楽しそうな彼女のその言葉。

「いえ、思いませんよ。」

僕の口からは簡単な言葉と乾いた笑いしか出て来ない。

本当はちょっと意地悪かなと思ったけれど、これ位だったら、 ちょっとしたお茶目と言った範囲で済まされるだろう。

でも、何となく、一寸だけメリーアンの素顔が見られた気がした。

 

それから暫く、僕とメリーアンは黙って星空を見ていた。

綺麗な満月と、零れそうな星。

去年までは一人で取り留めもなく、ご飯を食べながら眺めていた物だけど、 二人で眺める星空も悪くない。

「そう言えば…」

ふとメリーアンが口を開く。

「東洋ではこの時期の満月を『ジュウゴヤ』と言って、月に何かお供えするらしいですね。」

まさかここで東洋の話が出てくるとは思わなかったよ。

「メリーアンは、東洋の話に詳しいのですか?」

僕の問いに、メリーアンは空を眺めながら返す。

「私はそんなに詳しい訳では無いんですけど、 お父様のお妾さんで最近東洋の事に夢中になっている人が居るらしくて。

それでジュウゴヤの話をお父様から聞いたんです。」

へぇ、母上以外にも東洋の事に夢中になってる人は居るんだ。

そう言えばモモノセックの時も、 パーティーの主催は東洋の事に興味がありそうな様子だったけど。

「そう言えば、お父様がその人の為に漆塗りの髪飾りを作らせてプレゼントしてました。」

「ああ、その漆塗りの髪飾りは作った記憶があります。」

「まぁ、ではあの素敵な髪飾りは貴方が作ったんですね。」

「ええ、そうです。」

その髪飾りと瓜二つな髪飾りを母上が持っているのが気になるのだけれど。

そこで、僕はふと気になったことを彼女に訊ねる。

「ところで、メリーアンの母君とお妾さんって仲が悪くないんですか?」

その問いに、彼女は意外と言った顔で返す。

「いいえ、仲は全然悪く無いですよ。

むしろ仲が良い位です。」

「そうなんですか。それだと大分気楽ですね。」

メリーアンは知らないだろうけれど、僕の母上は何処かの誰かの妾で、 僕は結構母上が正妻と上手くやっているのかどうかが気になる事もある。

だから、メリーアンの母君とお妾さんの仲が悪くないと聞いて少しほっとした。

 

たわいの無い話をする事暫く。

ふとメリーアンが顔を暗くして僕に訊ねた。

「所で、最近体の調子はどうですか?

前に会った時は余り芳しくない様子でしたけれど。」

体の調子、余り良く無いんだよなぁ…

かといって素直にそう言うと心配掛けてしまうだろうし、どうした物か。

「今日も余りお食事されてない様子でしたし、やっぱりまだ調子が悪いのでしょうか?」

そこまで見てたんだ。

しっかり観察されている事をひしひしと感じながら、 僕は顔を曇らせる彼女の不安を何とか消そうと、しどろもどろながらに返す。

「えっと…まだちょっと食欲は無いですけど、前よりは良くなってますよ。前よりは。」

本当は全然良くなって何かいない。

むしろ前よりも体がだるいし、食事を戻す回数も増えている。

でも、そんな事を素直に言ってしまったら、益々メリーアンを不安にさせるだけだ。

そう思って僕は誤魔化した。

しかし、それに気づいているのかの様に、メリーアンは依然表情を曇らせたまま。

どうしよう。

「そんなに不安がらなくても大丈夫ですよ。

何がそんなに不安なのですか?」

僕はそう言ってメリーアンの手を取り、ぢっと見つめる。

すると彼女は僕の手を強く握り、

「貴方が、殺される夢を見ました。」

と、絞り出すような、震える声で言った。

「殺される夢って、そんな…」

そう言えば、前に『呪いじみた何かを感じる』と言っていたけれど、 それと何か関係があるのだろうか。

何かが僕の中で引っかかる。

「死因は、何だったんですか?

その、夢の中の僕の。」

僕の問いに、メリーアンは少し戸惑ってから、答える。

「…毒殺でした…」

毒殺かぁ…なんだろう、今の体調の不具合からすると、本当に無いとは言いきれない。

そう思うと背筋がゾッとする。

僕は自分の中で不安がだんだん大きくなっていくのを感じ、 それをかき消すようにメリーアンを抱きしめて彼女に言った。

「大丈夫です。そんな事には為らないように気を付けますから。

僕は大丈夫です、安心して下さい…」

 

今日の花は「マリーゴールド」

花言葉は「予言」

その花言葉通りにメリーアンが僕にしてくれた予言は、絶対当たる筈なんて無いと思った。

 

†next?†