第五章 雪解けのように

 医者の所で診てもらってから数日、ドラゴミールは先日自分を教会に招いた司教様と接触を取った。 エルカナの言葉を聞いて疑念を持った司教様に、医者で診てもらった結果を報告する事になっていたのだ。

 本当にそこまでして、聖職者の人達の疑念を解く必要があるのかと言われると、もしかしたら無いのかも知れない。 もうその教会に行かなければ良いだけの話とも言えるだろう。

 けれども、ドラゴミールは自分に向けられた疑惑にきちんと決着を付けないといけないと思うような正直者なのだ。 もし検査で自分が去勢されていたと言う結果が出たとしても、他の誰かに頼んで書面で結果を伝えただろう。

 教会を訪れ、修道士に案内されて司教様の元へと行く。応接間には司教様と、 歌を披露したときに居た修道士数人が待ち構えていた。司教様を含め厳しい顔をした者が殆どだけれども、 マルコだけは、眼鏡越しに不安そうな視線を投げかけてきていた。

 勧められた椅子に座り、ドラゴミールは恭しく、診断書を司教様に手渡す。封蝋で留められた封筒を、 司教様がペーパーナイフで開けて中身を取り出す。不審そうな表情とは裏腹に、 その手つきは丁寧だ。三つ折りにされた書類を開き、目を細めて、司教様が診断書に目を通す。それから、 最後まで読み終えたのか一旦目を閉じ、診断書を机の上に置いてから、深々と頭を下げた。

「貴方は去勢されては居ませんでしたか。いらぬ疑惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした」

 それを聞いた修道士達は驚いたような顔をしていたけれども、皆揃って、ドラゴミールに頭を下げた。それから、 修道士達の中から一人、ドラゴミールの脇にやって来て膝を着く者が居た。かつて聖堂で、疑惑を口にしたエルカナだ。

「この度は私の浅はかな発言で、不安とご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした。

どの様な叱責もお受けします」

 そう言ってまた頭を下げるエルカナに、ドラゴミールは少し困ったように笑ってこう答えた。

「いえ、そんなに気にしないでください。

確かに俺は声が高いですし、あなたに言われなくても、きっといずれ何処かで同じことを言われたと思うんです。

だから、ちゃんと診てくださるお医者様がいるこの街で気づいたのは、幸いでした」

 きっと、エルカナも悪意が有ってあの様なことを言ったのでは無いのだろう。ただ、 神の教えに余りにも厳格に従っていたが為に、あそこまで厳しい言葉を投げてしまったというのは、 ドラゴミールにも察することが出来た。

 けれども、

「でも、流石にあそこまで言われるとすごいこう、ショックではあったので、もう少しやんわりと言って欲しかったです」

「あっ、は、はい。本当に申し訳ありません……」

 言われて辛かったのは変えられない事実なので、少しだけ、ちくりと刺しておいた。

 

 その後、司教様の依頼でまた聖堂で歌を披露して、直接劇場へと戻ることになった。 聖堂から教会の門へ行く道すがら、案内してくれたマルコがこう言っていた。

「エルカナさんのことを許してくださって、ありがとうございます」

 まさかお礼を言われるとは思って居なかったので、驚いた。

「でも、結局何も無かったんですし、いつまでも引きずるのも良くないかなって」

「そうですね。ですけれど、それが出来ない人は結構居るのですよ?」

 そう言ってくすりと笑ったマルコは、続けてこう言った。

「エルカナさんは厳格な方ですけれど、普段は優しい人なんです。

私が修道院に見習いとして入ったときから、ずっとお世話になっているんです」

 優しい人と言われても、ドラゴミールから見た限りでは優しい要素が見当たらなかったのだけれども、 付き合いの長いマルコが言うのなら、きっとそうなのだろう。もしまた会うことが有るのなら、 その時は優しい姿を見られたら良いなと思った。

 

 聖職者の方々の誤解が解けて数日後、 ドラゴミールはカミーユが営む仕立て屋へと訪れた。もうすぐ今期のオペラの公演期間が終わるので、 次のシーズンに向けて、新しい衣装の注文をするためだ。

 仕立て屋に向かう途中、パン屋で焼きたてのアップルパイを買う。今回は仕事の依頼で訪れるとは言え、 いつも色々とご馳走になっているばかりなので、そのお返しにだ。

「お邪魔しまーす」

 仕立て屋の前でそう声を掛けると、また先日のようにギュスターヴが出迎えてくれた。

「よう、今日も顔見せに来たのか?」

「いや、今日は衣装の注文。

そろそろ次のシーズンに向けて作って貰わないといけなくてさ」

「あー、もうそんな季節か。

取り敢えず中入ってくれよ。兄貴呼んでくるから」

 店の中へと招かれて、ドラゴミールは応接間のソファに座る。この仕立て屋は貴族もよく来ると言うことで、 内装もソファも、豪華でこそ無い物の上品にまとめられている。

 一体何代続いている仕立て屋かはわからないけれども、良くここまで揃えた物だと見る度に感心してしまう。

 部屋の調度品をじっくりと見ている内に、ギュスターヴが分厚いノートを持ったカミーユを連れてきた。

「やぁ、久しぶりだねドラゴミール。

今回はどんな衣装が欲しいの?」

「それを決めるのに相談したいんだけどな?」

 カミーユも向かいのソファに座り、ノートを開く。そこに、二人で色々と話合いながら、 どんな衣装を作るのかというメモを取っていく。それは文字だったり絵だったり、様々だ。

 それにしても、と思いながらドラゴミールはカミーユの手元を見る。その手が描く絵は簡潔だけれども整っていて、 それに反して、文字は流れるように崩れがちだ。もう少しきちんと書けば後で読みやすいだろうに。そう思ったけれども、 声には出さなかった。

 

 案も決まり採寸が終わったところで、もし時間があったら少し休憩していかないかと、カミーユ達に誘われたので、 持って来たアップルパイを兄弟三人とドラゴミールの四人で食べている。

「良かったらゆっくりしていってね」

 そう言って、にこにこしながらアップルパイを食べるカミーユ。アルフォンスは、 飲み物も必要だろうと言って珈琲を用意してくれた。

「折角だから、もう少しつまめる物用意しようか」

 アルフォンスがそう提案するので、 ドラゴミールは有り難くいただくことにする。台所に引っ込むアルフォンスを見送った後、 ちらりとカミーユの顔を見てみると、目の下に隈ができているような気がした。きっとまた、ろくに眠らず、 食事もせずに働いているのだろう。

 それからしばしの間、四人はおやつを楽しんで、余り遅くなる前にとドラゴミールは店を出る事にした。

 入り口まで見送ってくれたのは、アルフォンスだ。別れ際に彼はこう言った。

「ドラゴミールが来てくれると、カミーユ兄ちゃん嬉しそうにするし、ごはんも食べてくれるから、 もし良かったらいっぱい遊びに来てくれると嬉しいな」

 普段無理をしているカミーユのことが余程心配なのだろう、少しだけ涙がにじんでいた。

 

 仕立て屋から劇場に向かう途中、衣装の他に舞台で使う装飾小物も発注しなくてはいけないことを思いだした。

 作らなくてはいけないのは、腕輪と首飾り。いつもならデュークに注文をするのだが、どうにも夏頃から調子が悪いらしく、 このところはジュエリーの注文を受けていないらしい。

「どこに発注するかなぁ」

 舞台で使う小物をわざわざ金で作る必要は無い。しかし、真鍮や銅でジュエリーを作ってくれる職人は、 デューク以外に居るのだろうか。

 暫く歩きながらその事で悩んで、後でデュークに知り合いの職人を紹介して貰おうと思い至った。

 今週いっぱいで、オペラのシーズンは終わりだ。年が明ける頃にはまた、 音楽院のある街へと一旦戻らなくてはいけない。

 この街にしか友人が居ないというわけでは無いけれど、なんとなく、この街を離れることを考えると寂しくなった。

 

†next?†