第三話

 そして、私が天の使いとしての仕事を始めてから五年の月日が経った。

その間に、何人もの悪人を光の矢で貫き、道を改めさせた。

悪心を消し去られた元悪人は、暫しの受刑期間を経た後に、今度は善良な市民となり、人々と共に過ごしているという。

中には、悪事は働かなくなったものの、何もする気力が無く、 ただぼんやりと日々の営みを繰り返すだけの者も居るらしいのだけれど、どう言った違いがあるのだろうか。

その差がわからないので、相変わらずボウガンを射る時には、悪人以外の人に当たらないよう、細心の注意を払っている。

 

 今日も天の使いとしての仕事を終えた後、修道院に戻る。予定では、隣の区画の教会へと行く事になっている筈だ。

見習い期間を終え、無事に修道士になった私は、主に香草と薬草の畑の管理を任されている。

これから向かう教会では、香草や薬草だけで無く、薔薇の栽培もして居て、それは見事な出来なのだという。

いろいろな薔薇を掛け合わせて品種改良をしているとの事で、こう言った知識を様々な所で共有するのは大切な事だろうと、 その教会へお邪魔する事になった。

 

 薔薇の話を聞かせて戴き、少し自由時間を戴けたので、私は何とも無しに、墓地へと向かった。

他の教会が管轄している墓地が、どの様な状態なのかが気になったのだ。

 きちんと手入れされた道に、時折墓に添えられている花束。こまめに手入れをしているのか、 枯れた物は置かれていない。

 私が所属する教会の墓地もこの様な感じで、やはりどの様な所も、きちんと手入れが行き届いて居る物なのだなと思う。

 ふと、ある墓石の前に佇む人影を見付けた。

花束の置かれた真新しい墓石の前で指を組み、俯いて瞼を閉じている、一人の少年。

その姿を見て、私は何故だか、彼に話し開けたくなった。

けれども、祈りの邪魔をしてはいけない。そう思い、彼が顔を上げるのを暫く待っていると、寂しそうな顔をして、 目を開いた。

そっと彼に歩み寄り、声を掛ける。

「お祖父さんかお祖母さんに、挨拶をしに来たのですか?」

 すると彼は、少し困ったように笑う。

「いいえ、僕の両親がこの前流行病で亡くなって、それで、両親に挨拶をしに来たんです」

「ご両親、ですか」

 彼は見た所、私と同い年くらいだ。この歳で両親を亡くすのは、辛いだろう。

 ふと、寂しそうに視線を落とす彼を見て、何故だか突然、数年前に人攫いから助けた少年の事を思い出した。

 彼は、瞳に涙を溜めながら私にこう話した。

彼の両親が請け負っていた仕立ての仕事を、納期までに間に合わせる為に働いていて、葬儀に参列しなかったという。

仕事を優先して葬儀に参列しないのは考え物だ。そう思った。

けれども、ついには涙を零して、葬儀に参列しなかった事を悔やみ、両親と神様に、 ごめんなさい。と何度も言う彼を見て、胸が締め付けられる。

 私は思わず、彼の白い手を取ってこう言った。

「そこまで悔やんでいるのでしたら、修道院に入って、私と共に信仰の道を歩みませんか?

そうすればきっと、あなたの心も安まるでしょう」

 すると、彼は涙を拭いながら答える。

「ごめんなさい。僕、弟が二人居るんです。

弟達を置いていくわけには、いかないんです」

 悔恨の念に苛まされながらも、弟達を支えようとする彼に、私は何も言えない。

「昔、天使様に助けて戴いた弟達を、大事にしたいんです」

 微かに震えるその言葉に私は、ああ、やはり。彼はあの時の少年なのだと確信する。

彼の手を握りしめてから手を離す。

「そうなのですか。

弟さん達をぜひ大切にしてくださいね」

 言いようのない程、胸が苦しい。

「ありがとうございます」

 僅かに微笑んだ彼に、別れの言葉を残してその場を立ち去る。

私には、身を挺して弟達を守ろうとする彼が、眩しく感じられて仕方が無かった。

 

 それからも、修道院と教会の仕事をして、天の使いとしての勤めも果たして、日々は過ぎていった。

この日は、年に数回の聖体儀礼が行われる日だ。

教会に集まった信徒の方々に、種なしのパンと、杯と、ワインを配る。

 その中でふと目に留まったのは、相変わらずワインが苦手で、未だに幼児用の杯を渡される少年だった。

やはり相変わらず母親と一緒に礼拝に来ているけれど、流石にこの頃は、大きい聖餅と交換して欲しいと言う事は、 言わなくなった。

彼が持っているロザリオは、いつだったか話に聞いた、少し歪な、初めて作ったという物だった。

 ふと、杯を持った彼の手を見て胸が苦しくなった。

彫金の仕事を始めてから余り外に出ていないらしく、気のせいだろうか、昔よりもずっと、 陶器のように白くなった彼の手。

その手の指が、祈りを捧げる時に組まれているのかと思うと、何故か、どうしてなのだか、 墓地で出会った、かつて私が助けたあの少年が思い出されてやまない。

 何故そんなにもあの少年の事が気になるのか、わからなかったけれども、あの少年の事を思い浮かべていると、 苦しいような、温かいような、不思議な心地になった。

 

 墓地であの少年と再び有ってから、何日、何週間、何ヶ月と過ぎていった。

時偶思う。私はあの時、もっと強引に彼の事を誘ってもよかったのでは無いかと。

彼には彼の道がある。それはわかっているけれども、もし今彼が、 同じ場所で過ごしていたら。私の側に居てくれたら。そんな事を考えていた。

 私も、年の近い友人が欲しいのだろうか。

この修道院にも、勿論仲の良い修道士は居る。

彼らは友人と言っても差し支えは無いだろう。それ以上に何を望むのか。

それに、親しくも無いあの少年と、何故共に過ごしたいと思うのか。私にはそれがわからなかった。

 夜、眠る前のお祈りをして、その後に、あの少年の明日がまた善くあるよう祈って。

その時の胸の高鳴りは、ベッドの中で夢を見ている時よりも、心地よい物だった。

この気持ちは一体何なのだろう。誰かに訊ねたかったけれども、何故か口に出すのは憚られるような気がして、 誰にも尋ねられずに居る。

 ふと、左手首に付けている、暗赤色のロザリオが目に入った。

私が天の使いの任を受けてから、もう五年。

もう少しで、私はこの任を降りる事になる。

そうだ、天の使いの力を私に託した彼女、鏡の樹の番人になら、この気持ちの事を訊ねても良いかもしれない。

あの場所に一人で佇む彼女になら、訊ねられる気がした。

 

†next?†