第七章 チョコレート・モグモグ

 チカちゃんと友達になってだいぶ経って、そろそろバレンタインの話題が出る頃になった。
 私は今まで、いらない誤解を招いても面倒なのでバレンタインのチョコは内々の友人に友チョコをちょっと渡すだけだった。同じ業界の子でもお世話になってる人とかに義理チョコを配って歩くっていうのは話には聞くけれど、正直私は上手く立ち回れる気がしないのでそういったことは控えている。
 レギュラーのバラエティ番組の収録中、司会にチョコレートをあげたい人がいるんじゃないのか。と言われたけれども、大きなお世話だという思いしか湧かなかった。その時は取り繕って、特にそういう人はいないですー。と流したけれども、なんで公衆の面前でそんな事を訊かれなきゃいけないのかがわからない。他の人はテレビ番組の収録中にそういうプライベートなことを訊かれても気にしないのだろうか。少なくとも私は気にする。
 番組収録後、少しの間マネージャーが心配するほどむすっとしていたけれども、いつものようにチカちゃんがピクルスを持って来てくれたのを見て笑顔になる。
「理奈ちゃん、災難だったね」
 チカちゃんが私にピクルスの入った保存ケースを差し出して言う。私はいただきますと言ってから、慣れた手つきでチカちゃんのピクルスを爪楊枝で刺して口に運ぶ。
「まー、良い気分にはならなかったけど、ああいう話題が視聴者にはウケるんでしょ」
「そう言う面は否めないけどね……」
 自分が弄られたわけでもないのに、チカちゃんがしょんぼりしてしまった。きっと心配をかけてしまっているのだろう。その空気を振り払うように、私がチカちゃんに言う。
「チカちゃん、良かったらバレンタイン近くにチョコレート交換しない?」
 それを聞いて、チカちゃんは目をぱちくりさせる。それから、私のピクルスをひとくち囓ってくすくすと笑う。
「私とチョコレート交換? うれしい、やろう!
でも、理奈ちゃん本当に他にチョコレートあげたいひといないの?」
 改めてチカちゃんにそう訊かれて心臓が跳ね上がる。なんでそうなったのかはよくわからないけれど、私はチカちゃんとバレンタインを楽しみたい。あ、でも、他の友達にも一応用意をする意思はある。チカちゃんを含めても、チョコレートを渡す相手は三人くらいだけど。
 でも。と改めて考える。チカちゃんとチョコレート交換? それは合法的にチカちゃんからチョコレートをもらえると言うことなのでは? 自分から言い出したこととはいえ、そのことがとんでもないことのように思えた。
 考え込んでしまった私を、チカちゃんが不思議そうな顔で見ている。このままだんまりも良くないだろう。私は正直に答える。
「チカちゃん以外にふたりくらい友チョコ送るつもりだけど、それだけかな」
「そっかぁ。どんなの選ぼうか楽しみだね」
「うん、楽しみ」
 それから、私とチカちゃんのチョコレート交換はいつ頃にするかと言う話をする。その話が聞こえていたらしい私のマネージャーが、スケジュール帳をさっと見て、このレギュラーのバラエティ番組が一番バレンタインに近い日程だと教えてくれた。
「理奈ちゃん、収録の日楽しみになった?」
 マネージャーにそう言われて、私はにっと笑う。
「もちろん。それまでに一番良いチョコレートを選ばないとね」
「私も、頑張ってチョコレート選ぶね」
 チカちゃんと私で笑い合って、そうしているうちにチカちゃんのマネージャーにそろそろ楽屋へ戻ろうと促されたので、名残惜しいながらもピクルスの入ったケースの蓋を閉めて楽屋へと向かった。

 それから数日後。オフの日に私はひとりでデパートの催事場にいた。今日ここではチョコレートのお店が集まっているので、チカちゃんや友達に渡す友チョコを選ぶならここでが良いだろうと思ったのだ。
 人ごみに揉まれながらチョコレートのお店を見て行く。女の子の友達には、かわいくオレンジやベリーがトッピングされたホワイトチョコレートを、男友達にはシックな感じのチョコレートボンボンを選ぶ。
 それで、チカちゃんに渡すチョコレートはどうしよう。ここが一番肝心だ。チカちゃんにチョコレートを渡すのはこれが初めてだから、どんなものを選ぼうかとても悩んでしまう。
 催事場の中を何度も何度もぐるぐる回って、ふと、とあるお店の前で足を止めた。店員さんがチョコレートを試食しないかと差し出してきたのだ。そのチョコレートは粒になってころころしていて、どうやらレーズンチョコのようだった。
「貴腐ワインに漬けたレーズンのチョコなんですよ」
「そうなんですね」
 貴腐ワインという物の名前は知っている。とにかく高価な甘いワインのことだ。そのワインに漬けたレーズンのチョコは、どんな味がするんだろう。そう思って一粒口に運ぶと、シャリシャリした食感とほのかな苦味、それから、葡萄の甘みと香りが口の中に広がる。これをひとくち食べただけでも、アルコールでではなくそのおいしさに酔ってしまいそうだった。
 こ、これにするー! こんなにおいしいチョコレートは、絶対チカちゃんにも食べて欲しいと思った。
「すいません、これの瓶に入ってるやつをひとつお願いします」
「はい、ありがとうございます」
 ガラスのショーケースの中には、黄色と緑を基調にした小さな紙箱とその倍くらいの紙箱に入った物、プラスチックの小さな瓶に入ったレーズンチョコが並んでいたので、一番見た目がかわいい瓶のやつを店員さんに包んでもらう。ラッピングも、プレゼント用にかわいくリボンを付けてもらった。
 チョコレートの入った紙袋を三つ持ってデパートを後にする。友達の分は宅配で送るとして、チカちゃんに会ってこのチョコレートを渡すのが楽しみだった。

 チョコレートの買い出しからしばらく。レギュラーのバラエティ番組の収録日が来た。チョコレートは紙袋に入れたまま楽屋に置いてきているので、チカちゃん以外の出演者がその存在に気付くことはないだろう。
 上の空のまま収録をする。途中他の出演者からぼんやりしていることを指摘されて、バレンタインに告白でもしたんじゃないかと突かれ若干イラッとはしたけれども、収録後にチカちゃんとチョコレート交換ができると思うとそんなことはすぐに受け流せた。
 そうしているうちに収録は終わり、いつものようにマネージャーが持ってきてくれたピクルスをチカちゃんと囓る。
「理奈ちゃん、また突かれてたね。怒ってない?」
 チカちゃんが心配そうにそう言うので、私はにっこりと笑って返す。
「チカちゃんとチョコレート交換するんだって思ったら、怒る気無くなっちゃった」
「そうなの? うふふ」
 そんな話をしていたら、私とチカちゃんのマネージャーが声を掛けてきた。今日はこのあと予定があるだろうと。
 そう、このあと私の楽屋でチョコレート交換をするのだ。私は周りを気にせずその話をしていたけれども、マネージャー達は少し気にしているようだ。
 とりあえず、私もチカちゃんもチョコレートは楽屋に置いていると言うことなので、あとで私の楽屋に来て。とチカちゃんに言ってとりあえず戻った。

「おじゃましまーす」
 私が楽屋で緊張しながら待っていると、チカちゃんがにこにこ笑って、手に小さな紙袋を持ってやって来た。念のためだろうか、チカちゃんのマネージャーも付いてきている。
 私は手に持っていた紙袋をチカちゃんに差し出し、チカちゃんが差し出した紙袋を手に取る。
「喜んでもらえると嬉しいんだけど」
 そう控えめに言うチカちゃんに、私も返す。
「私の方こそ、喜んでもらえると嬉しいな」
 緊張しているせいだろうか、少し声が大きくなってしまった。それを見てか、チカちゃんがくすくすと笑う。
「もらえるだけでも嬉しい。
ねぇ、ちょっと中身見ていい?」
「いいですとも!」
 ちょっとそわそわしているチカちゃんにそう返すと、チカちゃんはラッピングを丁寧に開けて中身を見ている。
「わぁ、瓶に入ってる、かわいい!」
「それ、試食したときすごく美味しかったんだ。だから、チカちゃんに食べて欲しいって思って」
「うふふ、ありがとう」
 私が選んだチョコレートを持ってこんな嬉しそうにしているチカちゃんを見て、私は心臓を抑える。これ以上はいけない。尊すぎて死んでしまう。
 少し呼吸を落ち着かせてから、私もチカちゃんに訊ねる。
「私も、ちょっと中身見ていい?」
「うん、いいよ。気に入ってくれると嬉しいな」
 許可が出たので、私もかわいいラッピングの箱を剥いていく。それから、中に入っていた箱を見て声を上げた。
「こっ、これ、私が好きなやつのイベント限定のやつじゃん!
えっ? 数量限定だったはずだけど!」
「うん。初日は行くのが遅くて買えなかったんだけど、二日目は早めに行ってなんとか買えたの」
 私のために二日間もイベント会場に足を運んでくれたの? しかも私が好きなチョコレートを覚えていた上で! 考えれば考えるほど喜びがこみ上げてきて、心臓の動悸が激しくなる。あまりのことに眩暈がしてふらついて、マネージャーに支えられながら思う。
 ちょっと三途の川が見えたよね……

 

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