第二章 バタークリーム・バースデー

 厨房で遅めの昼食を食べる。いわゆるお昼時は、午後のおやつ時にたくさん来るお客さんに対応するために、追加のケーキや焼き菓子を作るので忙しいのだ。
 この店に勤めるパティシエはそんなに多くない。俺が念願叶えて構えた店は小さくて、沢山パティシエを雇っても厨房で渋滞してしまって上手く動けないからだ。もちろん、急に欠員が出た時のために、それでも回るようにゆとりのある人数を入れてはいるのだけれども。
 そんな数少ないパティシエでこの店で出すお菓子を常に用意しなくてはいけないのは大変だけれども、やりがいのある仕事だ。少なくとも、俺にとっては。
 今頃、店頭にはケーキを買いに来たお客さんがいるだろうし、表に立っているスタッフの動きを見る限り、イートインにもお客さんはいるようだ。
 昼食を食べ終わったら今度は明日に向けての仕込みだ。しっかりと体力を付けないと。
 ふと、テーブルにつっかえている自分の腹の肉が目に入る。ここまで太っていると健康によくない気はするのだけれども、どうにもダイエットをする気にはなれないでいる。パティシエという仕事は日々が忙しくて、仕事が終わってから運動をするのも難しいし、朝運動するにしても、そもそもで朝も早いのだ。運動する隙などない。
 ……というのは建前で、単純に運動が苦手だというだけだ。一応、家からこの店までは歩いてきているけれども、距離自体がたかがしれているので、どの程度運動の効果があるかはわからない。かといって、カロリー制限をする気もないし、この腹はこういうものなのだと思っている。
 たっぷり盛られたまかないを食べていると、表に出ていた店員が俺を呼びに来た。どうやらケーキのオーダーをしに来たお客さんがいるようだった。
 食事を中断して、事務室から注文をする際に必要な書類を挟んだクリップボードと、ボールペンを持って店頭に出る。厨房から店頭へと続く出入り口が狭く感じるけれども、こういう間取りの物件だし、他の従業員は困っていないようなので、この不満を解消するには俺がダイエットするしかない。でもまぁ、そんなに困っているわけでもないし。ここを通る度にそう思う。
 店頭に出て、ショーケースの前に立っている、女性のお客さんに訊ねる。
「どうもこんにちは。今回はケーキのオーダーと伺いましたが、どのようなものをご希望でしょうか」
 するとお客さんは、少し緊張した様子でこう答えた。
「えっと、今回はバースデーケーキを注文したくて」
「バースデーケーキですか。なるほど。
それでは、細かい注文などはこちらにご記入下さい」
 そう言って、お客さんにクリップボードを手渡す。それを見て、お客さんは驚いたような顔をした。おそらく、真っ先に目に入ったのが注文票ではなく問診票だったからだろう。
「えっ? この問診票ってなんですか?」
 俺の店では、ケーキをオーダーする際に、必ず問診票を書いて貰っている。その理由をこう説明する。
「当店では、最大限アレルギーに対応した商品をご提供したく、問診票の記入をお願いしております。
少々面倒かとは思いますが、より安全にケーキをお楽しみいただくために、ご協力お願いします」
 それから、問診票だけでなく注文書も記入欄が多いので、空いている客席に案内して、そこに座って貰う。問診票や注文票を書くことにはきっと慣れていないだろうので、緊張をほぐすために水もコップ一杯分用意した。
 アレルギーの有無を確認するだけなら、注文書だけでも十分ではないかと、知り合いのパティシエに言われることはある。けれども、注文書にアレルギーを書いて貰うだけでは不十分なことがあるのだ。
 食の安心を届けるためには、アレルギーだけでなく常用している薬や、なにか疾患があるのであればそれも考慮しなくてはいけない。それらを知るには、注文書以外にも問診票を書いて貰う方が手っ取り早いのだ。
 医学の素人がそんなところにまで気を配れるのか。そう言われることもある。確かに俺は、病院勤務の医者に比べたらまだまだ素人だと思う。とはいえ、実はこれでも医学部を卒業したという経歴があって、インターンもしっかりこなし医師免許も持っている。なので、他のパティシエに比べたらだいぶアレルギーや疾病による禁忌食料はわかるつもりだ。
 ショーケースより奥側から、問診票と注文書を書くお客さんを気にかける。だいぶ大変そうだけれども、これもおいしくて安心できる商品をお届けするためなのだ。許して欲しい。
 しばらくして、お客さんが問診票と注文書を持って来たので、それを受け取る。
「早速拝見させていただきますね」
 そう断りを入れてから、まずは問診票を見る。アレルギーや既往症は無し。服用中の薬も無し。これならだいぶやりやすい。
 それから、続けて注文書を見る。作って欲しいのは、先程言っていたようにバースデーケーキ。好きな食べ物の傾向は、こってりしたものとナッツ類、苦手な食べ物の傾向はフルーツ類。なるほど、これだとバースデーケーキを出来合いのもので、というのはなかなかに難しい。見た目のデザインも、花が好きなので花のモチーフをあしらったものが良いとある。
「なるほど。この感じですと、バタークリームのケーキをご提案させていただきたいのですが、いかがでしょう」
 俺がお客さんにそう言うと、お客さんは嬉しそうにこう返してきた。
「はい、バタークリームのケーキでお願いします。
最近、バタークリームのケーキってあまりなくて、うちの子が食べたがってもなかなか用意できてなかったんです」
「そうなのですね。それでは、バタークリームのケーキということでご注文承りました」
 ケーキの予価を伝え、受け取り日時を確認し、無事に受注を済ませる。お客さんが店から出るのを見送ったあと、厨房に戻って注文書を改めて確認する。バタークリームか。確かに、バタークリームのケーキはうちも店頭には余り出していない。久しぶりに作るバタークリームに腕が鳴りそうだ。

 それからしばらくして、ケーキの受け渡しの日が来た。ケーキは基本的に生菓子なので、あのお客さんが来る直前に仕上がるようにしたい。なので、予定の時間から逆算して作業を進めていく。アーモンドプードルで作ったケーキ生地を丸くカットし、横に二等分する。間にバタークリームと砕いたアーモンドやピスタチオを混ぜたものを塗り込んで二段にする。それから、表面を真っ白なバタークリームでコーティングし、側面をぎざぎざのヘラで撫でて筋を付ける。それから、昨夜のうちに作って冷蔵庫で冷やして固めておいた、バタークリームで作った色とりどりの花を飾り付けていく。注文書に書いてあった情報だと、バースデーケーキの送り先は、あのお客さんの娘さんだ。高校生くらいの子とのことだったので、カラフルでありながらも少しだけ大人っぽい雰囲気のケーキにしようと思ったのだ。
 バタークリームのお花を飾り終え、最後に名前とハッピーバースデーという文字を書いたチョコレートプレートを乗せて、ケーキは完成だ。
 一息ついたところで、表に出ていた店員が俺に声を掛けた。先日のあのお客さんがケーキを受け取りに来たというのだ。
 なかなか良いタイミングで仕上がった。そのことに満足感を覚えながら、ケーキを持ち運び用のプレートに移し、紙のケースに入れる。それを丁寧に両手で持って、店頭へと運ぶ。すると、そこにはやはり緊張した面持ちのお客さんが立っていた。
「お待たせ致しました。ケーキはこのように仕上がっております」
 そう言って、紙の箱を開けてケーキを出し、お客さんに見せる。
「すごくきれいです! ありがとうございます。きっと娘も喜びます!」
 お客さんは大喜びで、会計を済ませてケーキの入った紙箱を持って店を出て行った。喜んでもらえたようでよかった。

 それからまたしばらく、色々な仕事をして店じまいをする。他の従業員が明日店頭に出すケーキの準備をする中、俺は事務所に入ってパソコンに今回の依頼のことを打ち込んでいた。
 できれば、ケーキを食べたあとのお客さんの様子を知りたいけれども、なかなかむずかしい。ホームページで口コミを入れられるようにしたいけれども、どうやればいいのだろう。
 口コミで評判が広がってくれればというのはもちろんあるけれども、それ以上に、お客さんが俺達の作ったケーキでしあわせになれているかが気になった。

 

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