初夏の日差しも強くなってきた有る休日、悠希はジョルジュに呼ばれ、 とあるテニスコートで待ち合わせをした。
なんでもフランシーヌが友人とテニスをするから見に来てみないか。との事。
スポーツには余り縁のない悠希だが、アトランティス大陸から帰国して暫く、 家の中に引き篭もりっぱなしだったので、気分転換に出掛けることにした。
待ち合わせ場所に付くと、ジョルジュが手を振って待っている。
「ジョルジュ久しぶり。」
「やあ、久しぶり。着物に袴とはまた古風な格好だね、悠希。」
「そ、そう?慣れると結構楽だよ。」
ジョルジュは鎌谷が普通の犬だと思っているので、 鎌谷の歩き煙草で洋服が殆ど焦げてしまったと言う事情を話すことが出来ない。
それを解っている鎌谷が悠希の足下で『何のこと?』と言った顔をしている。
自分の服装から話を逸らそうと、悠希が話を振る。
「そう言えば、フランシーヌさんはまだ来てないの?」
「フランシーヌかい?
どうやら髪型のセットに時間が掛かっているらしくてね。
少し遅れると連絡が来たよ。」
「そうなんだ、女の子って大変だね。」
実家にいた頃、匠や聖史が休日出掛ける時、 髪型や服装でばたばたしていたのを見ていた悠希は何となく察した。
暫く待っていると、フランシーヌではない、黒いカールした髪を、短く切った女性が走ってきた。
パンツルックで、ボーイッシュな服装の彼女がジョルジュに話しかける。
「ごめんジョルジュ、遅れた。
フランシーヌはもう着替えに行っちゃった?」
そう言ってきょろきょろと辺りを見回す彼女は、 ジョルジュと並んでもそんなに変わらないほど背が高い。
「いや、琉菜の方が早いよ。
フランシーヌは髪の毛のセットに時間が掛かってる様でね。」
「そうかぁ、ところでそこにいる人は誰?」
琉菜と呼ばれた女性に突然話を振られ、悠希は戸惑う。
わたわたして何も言えないで居る悠希に変わって、ジョルジュが悠希と鎌谷の紹介をする。
「彼は僕の友人の悠希。
隣にいる犬がペットの鎌谷君。」
「ジョルジュの友達かぁ。
あたしは桑原琉菜っていうんだ。宜しく。」
「あ、宜しくお願いします。」
人見知りをするタイプである悠希は、突然気さくに話しかけられ、更に戸惑う。
何を言えばいいのか解らなくなった悠希が思わず口走る。
「あの、『琉菜』って変わった名前ですけど、何処の出身ですか?」
周囲にハーフや外国籍の人物が多い悠希にとって、その質問はいわば口癖のような物。
琉菜の鋭い視線が悠希に突き刺さる。
(しまった、怒らせちゃったかな…
どうしよう…)
人によっては出身地を聞かれるのを嫌がる人もいるので、 琉菜はそう言う人だったのかも知れない。
そう思った悠希がビクビクしながら琉菜の顔を見ると、困ったような笑顔を浮かべた。
「珍しい名前だからね、良く聞かれるよ。
茨城出身だけど、親が沖縄大好きでね。
琉球の『琉』の字を取って『琉菜』なんだって。」
特に怒るでもなく、あっさりと答えてくれる。
睨まれたように感じたのは、琉菜がやや釣り目だからだろう。
良く見るまでもなく整った顔立ちでありながら、気さくな表情を浮かべる琉菜に、 悠希は思わず見とれる。
一方、始終悠希と琉菜の様子を見ていた鎌谷は、口に出さすに心で思った。
(この女、もろに悠希の好みのタイプだよな。)
自分より背の高い琉菜を、既に憧れの眼差しで見つめる悠希。
いい加減鎌谷にも悠希の好みの女性というのは解ってくる。
今度は何時振られるのかと思いを馳せながら鎌谷が欠伸をしていると、 あり得ない物が視界に割り込んできた。
「皆様ごきげんよう。お待たせしてすいません。」
「やあ、フランシーヌ。今日も素敵だね。」
高く結い上げた金髪には、どう言った仕組みかミニチュアの船が乗せられ、 連なったパールが髪を彩る。
着ている服は、細く絞られたウエストとは対照的に、 ゆったりと膨らんだ袖とロングスカートのドレス。
オーバースカートの下からは、何重にもレースがあしらわれたアンダースカートが見える。
彼女こそがフランシーヌ。ネオ・フランスからの亡命貴族だ。
前に会ったときにも増して、想像を絶する服装に、悠希はよろめき鎌谷の顎が外れる。
「うっす、フランシーヌ。着替えに行こうか。」
「そうですわね。
ではジョルジュ、悠希さん、また後ほど。」
見慣れているのか、琉菜は一切動じる事なくフランシーヌに話しかけ、 一緒に着替えに行ってしまった。
着替えが終わった二人は、早速テニスコートに入り試合を始める。
悠希は琉菜に、ジョルジュはフランシーヌに、鎌谷はフランシーヌの頭に視線が釘付けだ。
(船頭に乗っけたままテニスってありえねぇ。)
そう思いながらじっと見つめていても、フランシーヌの頭からは船所か、 パール一つすらも落ちる気配はない。
真剣にフランシーヌの頭を見つめる鎌谷を見て、ジョルジュが悠希に話しかける。
「鎌谷君、ずっとフランシーヌの事を見ているね。
やはり彼女の魅力は種族を問わないのだね。」
「えっ?あ、ああ、うん、そうだね。」
全くフランシーヌの事を見ていなかった…正確には、 勤めて見ない様にしていた悠希がジョルジュにジャパニーズスマイルを返すと、 ジョルジュはそのままフランシーヌの事を語り始めた。
「彼女はテニスサークルの人の間では結構名を知られて居るんだよ。
その美しく優雅なプレイモーションは、 『蝶の様に舞い、毛虫の様に刺す』と言われ、 コートで付いた二つ名が『ミス・バタフライ』なのさ。」
「ジョルジュ、今の台詞全部聞き流して良い?」
電波がかった台詞を聞いて、悠希が思わず真顔で返す。
そんなやり取りが行われている足下で、鎌谷はずっと、 激しく動くフランシーヌの頭に釘付けなのであった。
一頻りプレイが終わり、全員で遅めの昼食を取りに銀座へ向かっている。
初め悠希はフランシーヌがドレスのまま電車に乗るのかと思いハラハラしたが、 そんな事はなかった。
むしろもっとハラハラする事態に置かれている。
「あの、フランシーヌさん、この車は一体…?」
ゆうに三人は座れる、広い後部座席の左端で、鎌谷を抱えたまま悠希が訊ねる。
「見ての通り、私に付いている護衛の方の車ですわ。」
黒塗りの車を運転しているのは聖史ではない。聖史は先日の選挙で議員になってしまったので、 護衛は他の人に変わったのだろう。
「フランシーヌ、偶には電車乗ろうよ。」
着替えの入った鞄を抱えている琉菜がフランシーヌに言うと、 フランシーヌは口元に手を添えて微笑んだ。
「先日、ジョルジュと一緒に乗りましたわ。
その時のお出かけ先で、初めて悠希さんと会いましたの。」
「へぇ、そうなんだ。待ち合わせか何かだったの?」
「いえ、フリーマーケットの様な催し物があって、ジョルジュが連れていってくれたんですの。
そうしたら悠希さんとその妹さんが出展なさってたんですわ。」
「フリマ?出展?古着か何か?」
きょとんとした目で琉菜がフランシーヌと悠希を見比べる。
悠希は簡単な説明をする。
「古着じゃなくって、自分達で作ったアクセサリーを売ってたんです。
そこにジョルジュとフランシーヌさんが来たんですよ。」
「へー、そうなんだ。
悠希君、今度あたしにもなんか作ってよ。」
冗談めかして言う琉菜の言葉を、悠希は真に受けて連絡先が書いてある名詞を探し始めた。
「えっと…これ名詞です。」
悠希の差し出した名刺には、本名以外に、『rose』と言う名前が書かれている。
これは悠希が即売会に出展したり、 web上で作品を発表したりする時のデザイナーネームである。
「結構本格的だね。今度悠希君の作ったアクセ、見せてよ。」
「あ、はい!僕の何かで良かったら…」
急に琉菜との距離が縮まっている感じがして、悠希の鼓動が高鳴った。
そうこうしている内に、車は銀座に着いた。
フランシーヌが案内する店は、悠希も良く歩いている通りで、紅茶の専門店がある。
そのお店ではランチメニューとして、簡単なフレンチのコースが出るのだ。
少し昼食の時間とずれた為か、すんなりと席に着くことが出来た。
渡されるのは簡単なメニューと、膨大な量の、 みっちりと細かい字で書かれた八頁に渡る紅茶のメニュー。
慣れない人だとどれを選べばいいのか途方に暮れるだろう。
「何これ、これ全部紅茶なの?」
案の定、琉菜は慣れていないらしく、膨大な量の銘柄に戸惑っている。
一方のフランシーヌとジョルジュは慣れた物。
早々にお茶を選んでしまっている。
「私はプリンストンに致しますわ。」
「僕はアールグレイインペリアルにしようかな。」
「え?何?
二人とも言ってる事が一行もわかんない。」
頭の回りにクエスチョンマークを飛ばす琉菜を、悠希がそっとサポートする。
「二人が選んだのはどっちも午後向きの紅茶です。
琉菜さんはどんなお茶が好みですか?」
「う~ん、普段紅茶飲まないから良くわかんないなぁ。
オススメの紅茶って有る?」
悠希はこの店に何度も来ているので、有る程度お茶の事が解ので、メニューを指さしながら、 琉菜に説明する。
「ホットで飲みたくて渋いのが苦手だったら、インゼン、パイミュータンインペリアル、 グランパイミュータン、パイミュータン、ブランエローズ辺りの白茶が良いですよ。
出過ぎても渋くならないから。
白茶だったら、ブランエローズがおすすめかな。
薔薇の花弁が入ってるんです。
あと、アッサムでメレンなんかはミルクに合うから、 多少渋く出ちゃってもミルクを入れれば大丈夫。」
「悠希君、そんな一気に言われてもあたしわかんないから。
面倒だからあたしはフランシーヌと同じのでいいや。」
「僕どうしよう…マルコポーロかな。」
一通り食後の紅茶を選び終わり、琉菜が悠希に言う。
「ねぇ悠希君。」
「あ、はい、なんですか?」
「丁寧語使わなくていいよ。気楽に行こ。」
微笑む琉菜を見て、悠希が顔を赤くする。
「うん、そうだね。」
食事が運ばれてくるまでの間、悠希は琉菜と何度も言葉を交わす。
その度に感じるときめきは、何だか新鮮で、でも懐かしい感じがして。
悠希は、琉菜を好きになったんだと感じた。