第二十一章 出版社にこんにちは

「う、うわぁぁ! 鎌谷君、たいへん、たいへんだよ!」

 年が明けて半年ほど経った頃、お茶を飲みながらパソコンを見ていた悠希が、いきなり声を上げた。

 窓から差す日差しを避けるように、万年床の上でひらきになっていた鎌谷は、また何か厄介ごとかと思いながら、 起き上がって悠希の隣に行く。

「なんだよおめー。今度は何が有った」

 鎌谷が問いかけると、悠希は震える声で言う。

「この前小説大賞に応募して賞を戴いた出版社から、これから継続的に本を出しませんかって、メールが来てて……」

「そうなのか? お前、今回はこの出版社潰れてないんだな」

「う、うん。今回は賞を戴いた小説を無事に書籍にしていただいたけど、まさかこんな事になるなんて……」

 焦りと戸惑いを隠せない悠希に、鎌谷は悠希の背中をぽふぽふと叩きながら言う。

「落ち着け。いくら本を出してくれた出版社って言っても、詐欺の可能性は捨てきれないからな。

どう対応したら良いか姉ちゃんに聞いて、それから返事しろ」

「う、うん。わかった」

 呼吸を整え、なんとか落ち着いた所で、悠希は早速姉の聖史に相談のメールを送ったのだった。

 

 聖史と相談しながら出版社とメールのやりとりをする事暫し。悠希は出版社に直接おもむき、 出版の契約をする事になった。

 今回訪れる出版社は、『紙の守出版』と言う割と最近に出来た会社だ。

 元々は神道系のムックを中心に出していた会社なのだが、昨年半ばくらいから、小説も発行するようになった。

 紙の守出版では割と、過去に出版社が潰れてしまって新刊が望めないで居た何人かの小説家を抱え、 途中で途切れてしまっていた小説の続刊を発行すると言う事もやっている。

 それだと、新規で小説家を抱える必要は無いように感じるが、そこは会社の事情が有るのだろうし、 悠希は特に疑問には思っていない。

 そんな会社なわけだから、新人の自分の作品で他の作家の足を引っ張ってしまわないかは心配だったけれども、 その不安を押し殺して、悠希は紙の守出版の扉を叩いた。

 小さなビルの一室にある編集部。呼び鈴を押し、少し塗装の剥げた鉄の扉の前で暫し待つ。すると、 中から出てきたのは、背が低く、髪の毛を二つのお団子にまとめて居る女性だった。

 本当に来てしまった。緊張で震える声で、悠希はその女性に尋ねる。

「本日お伺いする予定になっている新橋悠希と申しますが、こちら紙の守出版さんで宜しいですか?」

 すると女性はにこりと笑って応える。

「新橋さんですか、ようこそいらっしゃいました。こちらが紙の守出版です。

初めまして、私、夜杜美言と申します。以後お見知りおきを。

それでは早速、応接間へどうぞ」

「はい、お邪魔します」

 緊張しながら、編集部内へと入ると、そこはパソコンが乗った机がいくつも並んでいる部屋だった。

 こう言った仕事場というのを初めて見る悠希は、少し物珍しさを感じたが、あまり観察するのも悪いだろうと、 素直に美言の後を付いて行き、応接間に入る。

 するとそこには、きっちりとグレーのスーツを着た男性が一人と、何故か黒服の男達がズラッと立って待っていた。

 この時点で訳がわからなくなり、悠希は鎌谷に助けを求めたくなったが、今、鎌谷は家で留守番をしている。

 そんな悠希の状態を察したのかどうかはわからないのだが、グレースーツの男性が、にこやかに声を掛けてきた。

「初めまして、新橋悠希さんですね。

私、紙の守出版の編集長で語主真と申します。お気軽に語主とお呼び下さい。

では、どうぞ、お掛けになって下さい」

「あ、はい。それじゃあ失礼して」

 そう言って、向かい合わせに置かれている一人がけのソファの片方に、悠希は腰掛ける。

向かい側には、語主が腰掛ける。

 暫し雑談をしていたのだが、その最中、語主は特に黒服について何も言わないし、怯えている様子も見せないので、 それを見ていた悠希は、なるほど。この黒服は紙の守出版が雇ったガードを兼ねた、不正防止の何かなのだろう。と、 そう思い至りようやく安心する。

 語主が今回悠希を商業デビューさせたいと言う話と、それから、契約の話をする。

 話を聞く限りでは専属契約というわけでは無さそうなので、悠希は規約をしっかりと読んだ上で、 契約しても良いかなと、そう考える。

 その矢先に、語主がこう言った。

「それで、契約したあとに出版した小説なのですが、我が社は二次創作フリーというスタイルを取っています」

「二次創作ですか?」

 二次創作がなんなのかは、悠希も薄らぼんやりと把握している。既にある作品を元に、他の作品を作ると言う、 そう言った感じの認識だが。

 それにしても、二次創作をフリーにしているなんて思いきった事をした物だ。そう思いながら話を聞く。

「二次創作を許容する事で、我々にもメリットはあります。

二次創作作品から、原作へと辿り着き原作を購入する人は少なくありません。

そう言った理由ですね」

「なるほど、そうなんですね」

 そう言う宣伝にもなるのかと納得していると、語主は念を押すように、こう問いかけてきた。

「しかし、二次創作の中には作者が望まないような内容の物も少なく有りません。

その様な物を自作品を元に作られる可能性があります。

もし我が社と契約をするので有れば、そう言ったデメリットも考慮に入れた上で。となります」

 作者が望まない二次創作。確かに、インターネットで二次創作と呼ばれる物を見ていると、 だいぶ原作とは逸脱した内容の物も多い。

 自分はそれを受け入れられるか。暫し考えて、考えて、その末に結論を出す。

「はい、それでも構いません。

どんな二次創作でも、作品が好きで作ってくれているものなのなら、僕は否定しません。

ただ、見てショックを受けちゃうのも有るかもしれませんけど、それはそれで、 僕は読み手さんにその辺りはお任せしたいと思います」

 それを聞いて、語主はにこりと笑い、契約書の署名欄を指さす。

「それでは、ご契約いただけると言う事でしょうから、こちらにサインと印鑑をお願いします。

あ、もし印鑑をお持ちでなかったら、サインだけでも大丈夫ですよ」

「あ、印鑑持って来てます」

 そう言って、悠希は契約書にサインをし、プロの小説家の扉を開けたのだった。

 

 色々と話をした後に、家に帰った悠希は、荷物を置いて万年床に寝転がる。

「鎌谷くーん、僕、プロの小説家になっちゃった」

 嬉しい事の筈なのに、何故か声を沈ませている悠希の頬に、鎌谷が鼻を押しつけてから言う。

「良かったじゃねーか。昔からの夢だったんだろ?

それとも、なんか不安があんのか?」

 悠希は、横に居る鎌谷を抱きしめて、不安そうな声を出す。

「これから本当に、小説書き続けられるのかなって。

生活が安定するくらい、小説が書けるのかなって、不安なんだ」

「いや、今まで小説大賞の賞金だけで生活安定させてきた奴がそういう事言うのかよ」

「それもそうだね」

 鎌谷の言葉と温もりで安心したのか、悠希は起き上がり、鎌谷に言う。

「それじゃあ、晩ごはん食べようか」

「おう、犬缶開けてくれ。

あと焼酎とあたりめもな」

「もう、しょうがないなぁ」

 そう言って、悠希は台所に行く。それから、驚いたような声で鎌谷に声を掛ける。

「どうしよう鎌谷君、焼酎切らしちゃってるよ。みりんでいい?」

「いいわけねーだろ。

しゃーねーな。お前のデビュー記念ってことで、今日は休肝日にしてやるよ」

「うん。休肝日はもっと作って良いからね?」

 そんな話をして、犬缶を開けて、悠希も液体栄養缶を開けて、夕食にしたのだった。

 

†next?†