オペラの一座がこの街に来て数ヶ月。ウィスタリアは練習と舞台とに励み、時折貴族の要望で歌を披露しに行ったりと、 忙しくも充実した日々を送っていた。この日も、とある貴族に呼ばれて館へと向かい、歌を披露していた。
「ああ、実にすばらしい歌だったね」
そう言って拍手を送るのは、赤茶色の髪を顎のラインまで伸ばした、 気の強そうな青年。彼もウィスタリアのことをいたく気に入ってくれている貴族のひとりで、名をソンメルソと言う。
ウィスタリアは恭しく礼をし、促されるままにティーセットが用意されているテーブルに着いた。
「お気に召していただけたようで幸いです」
「そうだな。また俺の友人にも聴かせてやりたいくらいだ」
軽くやりとりをして、二人はカップに注がれた紅茶を飲む。心地よい華やかな香りが口の中に広がった。 紅茶を楽しみながらソンメルソが話すのは、彼の友人のことだった。元々体が弱い友人だったが、 このところはますます調子が悪くなっているらしく、一日の殆どを寝て過ごしているという。ソンメルソの友人もまた、 ウィスタリアのことを贔屓にしてくれている。今期の公演期間が終わったら、 お伺いを立てて訪問した方が良いのだろうか。なんとなくそう思った。
ふと、ソンメルソが話を変えた。
「ところで、ウィスタリアは他に貴族の館に招かれたりはして居るのか?」
その問いに、ウィスタリアはにこりと笑って返す。
「はい。ご友人の所と、あと割と頻繁にルクス様からお呼びが掛かります」
それを聞いたソンメルソの目が、険しくなった。どうしたのだろうとウィスタリアが思っていると、 ソンメルソがこう言った。
「ルクスか。確かに、お前はあいつに好まれているというのはよくわかるよ。
だが、あいつには気をつけろ」
「え? 気をつけろ、と言うのは何故ですか?」
いつも和やかに迎えてくれ、懇意にしてくれているルクスを何故警戒しなくてはいけないのか、 ウィスタリアは不思議に思った。ソンメルソが視線を外して理由を言う。
「他の人は気づいて居ないみたいだが、どうにもあいつには特殊な趣味があるみたいでな」
「特殊な趣味ですか?」
「ああ、だから気をつけろ」
「えっと、わかりました」
『特殊な趣味』と言うのが一体何であるのかウィスタリアにはわからない。わからなければ警戒のしようが無いのだが、 取り敢えずわかったという事にしておかないと、ソンメルソに対して失礼になるような気がした。
それから暫くして、オペラの公演期間が終わった。そろそろ次の公演に向けて衣装や小物の準備をしないとと、 そう思っていた所にウィスタリアに声が掛かった。この街を離れる前にまた歌を披露して欲しいと、 ルクスから呼ばれたのだ。ウィスタリアはすぐさまに身なりを整え、館へ向かう準備をする。この時既に、 ソンメルソの忠告の事は忘れ去っていた。
館に着き、早速応接間へと案内される。相変わらず愛想良く迎えてくれるルクスだったが、 今日はいつも一緒に居るはずのダリアの姿が無かった。不思議に思ったウィスタリアが訊ねる。
「お招きいただきありがとうございます。
ところでルクス様、本日はダリア様の姿が無いようですが、どうなされたのですか?」
「ああ、ダリアかい? 彼女は先日から暫く友人の家にお邪魔していてね。 今頃楽しい時間を過ごしているんじゃ無いかな」
「なるほど、そうなのですね」
以前話に聞いた限りでは、ダリアの友人は他の街へと嫁いでしまっていて、 会う機会が無いと言っていた。その機会が来ているのであれば、あれだけ会いたがっていたのだ、 楽しく過ごしているだろう。
椅子に座ったルクスが、ウィスタリアに声を掛ける。
「それでは、早速歌を聴かせておくれ。舞台で皆のために歌うのでは無く、私のために」
「はい、かしこまりました」
一礼をしてから、大きく息を吸い、歌い始める。広い応接間に、落ち着いた低い声が染み渡った。
歌を何曲か披露した後、他の街に行く前にウィスタリアをもてなしたいというルクスに、 食べ物とワインを振る舞われていた。出された食べ物は、見慣れない、美しく盛り付けをされた物で、 ワインもやはり上質な物だった。美味しい料理を食べ終え、ワインを勧められるがままに飲む。
「どうかな? お口に合うかい?」
「はい、とてもおいしいです」
用意されたワインは赤と白の二種類。どちらも口当たりが良く、けれども個性の有る味でついつい杯が進む。今までに数回、 こうやって食事を振る舞われはしたけれども、こんなにワインを勧められたことはあっただろうか。たしか、 今までは飲み過ぎないようにダリアが見てくれていたような。ぼんやりとそう思ったけれども、 酒が回っているのかふわふわとした心地になり、頭が上手く働かない。ただ、美味しいワインをもっと飲みたいという、 その欲求だけが際立っていた。
「気に入ってくれたようで良かったよ。
もっと飲めるかい? 他にも色々持ってこさせるからね」
「はい、ありがとうございます」
上機嫌でにこにこしたまま、何杯も空けていく。そうして、気づいた時には意識が朦朧としていた。
明らかに飲み過ぎてしまったウィスタリアは、客室へと運び込まれベッドに寝かされていた。部屋の中に、 他にはルクスしか居ない。ぼうっとした意識の中で、ウィスタリアはルクスにお詫びする。
「申し訳ありません、飲み過ぎた上にお世話になってしまって……」
すると、ルクスは熱くなったウィスタリアの頬に触れてこう言った。
「そんなに気に病まないでおくれ。飲ませたのは私なのだから」
「でも」
気にしなくて良いと言われても、目上の人の前で失態を犯すのは、心苦しい物だ。そう思っていると、 ルクスがウィスタリアの服の胸元に手を掛けた。
「このままだと暑いだろう? 少し開けた方が良い」
そしてそのまま、服の合わせをはだけさせていく。このままでは確かに体が火照って暑いので、 ウィスタリアはそのままされるがままになっていた。ぼんやりと天井を眺めていると、 ベッドの軋む音がする。何かと思い、気がついたら上にルクスが覆い被さっていた。
「そんなに無防備な顔をして。それでは、これからたっぷりと可愛がってあげようか」
「……え?」
一体何を言っているのかを理解する前に、 首筋に柔らかい物が当たる感触がした。ルクスが首筋や胸に口づけてきているのだ。そこでようやくウィスタリアは、 ソンメルソの忠告を思い出した。背筋を悪寒が駆けていく。けれども、ワインで酔いつぶされてしまった体は、 思うように動かなかった。