秋薔薇が花を付ける頃、街ではとある貴族が悪魔を崇拝する魔女なのでは無いかと言う噂が流れていた。
理由は、その貴族が持っている薔薇園に咲いた花が、一様に黒かったからだ。
そんなある日のこと、私の耳にその貴族が魔女裁判にかけられて投獄されたと言う話が入る。
こうなる事を、私が密かに思いを寄せている人が危惧していたな。と思いながらも、私は何も出来なかった。
何もしたくなかった。と言えばそうなのかもしれないが、 疑いを掛けられている貴族が所属している教会は私が管理している教会とは別の所で、 意見を言っても聞き入れられる事も無く、裁判に立ち会う事すら出来なかった。
貴族の集まる教会と、庶民が集まる教会。この二つに差は無いと言われてはいるが、私は確かに、 お互いが異質な物なのだと、魔女裁判に付いての意見を申し立てに行った時に感じた。
あの貴族の心配をして居た彼、カミーユ君は、今どうしているだろうか。
ミサの時に、教会に顔を出してくれては居るけれど、魔女裁判の話が耳に入っていなければ良いのだけれどと思う。
ぼんやりとそんな事を考えながら、手元に持った本を見つめる。
いけない、ぼんやりしていないで図書館の掃除の続きをしないと。
私は本を棚に戻し、一通り本棚の埃を落として、箒がけをした。
それから数日後、良く晴れた暖かな日。
この日は割と早い時間に教会と、教会の敷地内に有る小さな図書館の掃除が終わり、 何とも無しに色とりどりの光が差し込む教会の中で、椅子に腰掛け、 いつもお祈りの時に使っているロザリオを手繰っていた。
神は、私がカミーユ君の事を想っている事は勿論ご存じの様だし、 先日魔女裁判を受けることになった貴族が実は堕天使に陥れられていたと言う事もご存じだろうし、 堕天使が為すことを私が止めようとしなかった事もご存じだろう。
私は本当に、聖職者として胸の張れる生き方をしているだろうか。
聖職者として相応しくないにしても、せめて人として……
ロザリオの先端に付いている十字架を握りしめて俯いていると、今までに犯してしまった罪の様な物が、 次々と思い起こされてくる。
罪深い私を、神は赦して下さるだろうか。
ふと、カミーユ君の事が頭を過ぎり、涙が零れる。
救われなくても構わないから、彼を想うことを赦して欲しかった。
以前、その件について懺悔をして居た所、何故か天使様が顕れてくださって、 気にしなくて良いと仰っていたけれども、それでも赦されない事の様な気がした。
それとも、神のご厚意を疑うことの方が罪だろうか。
もう、私には判断できない。
気持ちが沈んだままでは有るけれども、こうして泣いてばかりでは何もならない。 そう思って手の甲で涙を拭うと、ふと異変を感じた。
決して広いとは言えないこの教会の敷地内に、闇の者の気配が入り込むのが感じ取れた。
私はすぐさまに立ち上がり、教会の聖堂から外へと出る。
敷地を囲う塀から、中へと入る正門。そこから図書館の方へと気配の痕跡が残っていた。
こんな昼間から、しかも教会に現れるとは一体どんな悪魔なのだろう。
ロザリオを握りしめ、警戒しながら図書館のドアを開く。
「誰か居るのですか?」
薄暗い図書館の中を見渡すと、右手の本棚の側に車椅子に座った人影と、その背後に立つ黒っぽい服を着た人影が有る。
「あ、神父様、お邪魔してます」
少し気まずそうにそう言って挨拶をしてきたのは、車椅子に座っている人影、カミーユ君だ。
そして、その背後に立っている人物にも見覚えが有る。 私の方を見て、いかにも邪魔者が来たという顔をしているそれは、堕天使だった。
堕天使を認識した瞬間、私の身体に痺れが走る。
聖堂で思い悩んでいたことを思い出し、堕天使に近寄るのは怖かったけれども、 カミーユ君を堕天使に任せておくことは出来ない。
すぐさまにカミーユ君に歩み寄り、声を掛けた。
「カミーユ君、いらっしゃい。
でも、図書館を見たい時は、一言声を掛けてくれると有り難いです」
「えっ、あ、すいません、次から気をつけます……」
ふと、申し訳なさそうにそう言ったカミーユ君の後ろに立つ堕天使を改めて確認し、訊ねる。
「所で、この人はお知り合いですか?」
すると、カミーユ君は嬉しそうな笑顔を浮かべてにこう答えた。
「今日初めて会った人なんですけど、この人がこの図書館のことを教えてくれたんです」
「そうなんですか」
カミーユ君は図書館のことを教えて貰えたことに、無邪気に喜んでいるけれども、 堕天使に良からぬ事をされていないかが心配になる。
持参した本だろうか、この図書館の中では見掛けない本の上に置かれた手をそっと握り、視線を合わせて私は言う。
「今回は悪いことを考えている人では無かった様で良かったですけれど、 知らない人の誘いには気安く乗ってはいけませんよ?
悪いことを考えている人も居るんですから」 もし良からぬ事をされていたとしたら、話してくれるだろう。 そう思ったのだけれど、カミーユ君は困った様な顔をして、すいません。と一言。
今回は本当に、何事も無かったのかもしれない。そう思って安心していると、 堕天使がカミーユ君の座っている車椅子から手を離し、図書館から出て行こうとする。
「君が本を読むのを手伝いたいけれど、ここではタリエシン神父に訊ねる方が良いだろう」
きっとカミーユ君に語りかけているのだろうその言葉を残して、堕天使は図書館の扉を開け、 光の中へと消えていった。
その後暫く、私はカミーユ君と図書館の蔵書を見ながら話をした。
「神父様、ここでは本当に本を貸してくれるのですか?」
「ええ、図書館の中で読むのなら自由に読んで構いませんし、特定の名簿にその都度記入して戴ければ、 一冊一週間を限度に貸し出しもしますよ」
図書館の説明に、カミーユ君は期待の眼差しを私に向ける。
そう言えば、いつだったか本を読むのが好きだと言っていたし、きっと色々な本を読みたいのだろう。
「何か借りていきますか?」
私が訊ねると、もじもじしながら訊ね返してきた。
「あの、どの本がお勧めですか?」
お勧め。どの本がお勧めと言われても、どんな物をカミーユ君が好んでいるのかというのを私は知らない。
なので、今日は本を持って来ている様だけれど、どんな内容の物をよく読むのかをカミーユ君から聞く。
すると、童話や詩集が好きと言うことだったので、手の平に乗るくらいの大きさをした一冊の本を、 少し離れた棚から取り出してきてカミーユ君に渡す。
「マザーグースを集めた本です。きっと気に入ると思いますよ」
カミーユ君は嬉しそうに一言お礼を言って、本を開く。
それから、一ページ、二ページと、数ページに目を通して私に言った。
「あの、これをお借りしても宜しいですか?」
どうやら気に入ってくれた様だ。
勿論お貸ししますよ。と言った後、名簿に必要事項を記入して貰う為に、 カミーユ君の乗った車椅子を部屋の中央に何台か据えられている机の所まで押して行く。
机の前で緊張しているカミーユ君の元に、名簿とペンとインク壺を持っていき、記入の仕方を教える。
ゆっくりと名簿に記入されていくその字を見て、ふと頬が熱くなった。
カミーユ君が書いた文字を見るのは、初めてかもしれない。
文字を見たのもそうだし、好きな本とかの話も聞けて、彼のことをまた知ることが出来たのが、嬉しかった。
私が名簿に書き込まれた文字に見とれていると、カミーユ君が伺う様に、こんな話を切り出した。
「実は、有る方から物語を書く依頼を受けているのですけど、その為に勉強したいんです。
それで、これからここで色々な本を借りたいんですけど、良いですか?」
その問いに、私は彼の目をじっと見て答える。
「構いませんよ。
それと、もし良かったら、読んだ本の中でわからないことが有ったら、私が教えましょう。
仕事が忙しいでしょうから、休みの時にでもおいでなさい」
図書館の中が薄暗くなかったら、私の顔が赤いのを知られてしまっていただろう。
けれどもカミーユ君は、私の顔の色など気付くことも無く、笑顔を浮かべていた。