コンがシュエイインを連れて訪れた、山頂にある仙人の家。そこに住んでいる仙人は、 いきるものの縁を司っていると聞いたことがあるのだ。
花咲く桂花の木々に紛れて隠れている仙人の家。その扉を叩くと、中から出てきたのは、 意外にも見目麗しい女性だった。
「おや、私の家を見つけ出して来るやつがいるなんてね。なんの用だい?」
物珍しそうに自分達を見る彼女に、コンが事情を説明する。
「実は、兄ちゃんが娶った人間の娘が死んでしまって、それ以来ずっと落ち込んでるんです。
もう一度その娘に会えれば兄ちゃん元気出すかなって思ったんですけど、難しいですか?」
女性はその話を頷きながら聞いて、人差し指でコンの額をはたいた。
「馬鹿をお言いじゃないよ。あんたみたいな夢魔にはわかんないかも知れないけどね、死人が住む国と命ある国は、 そう簡単に往復出来ないんだ」
「え? そうなんですか?」
女性の言葉に、コンはぽかんとする。そもそも、夢魔であるコンには死ぬと言うことがよくわからないし、 実感が無いのだ。そう、ずっと一緒に生活をしていたトオゥが死んでも、 コンには死というものが理解しがたい概念なのだ。
少し後ろから、鼻をすする音がする。やはりもう一度トオゥに会うことは叶わないのだと、 シュエイインが不安そうにコンの服の裾を掴んだ。
ここまで来てこう言われてしまって、どうしたら良いのか困惑する兄弟に、女性がこう言う。
「死者が住む国と命ある国は往復出来ないけれども、片道で良いなら死者の国へ行く方法がある」
それを聞いたシュエイインが、コンを押しのけて彼女に迫る。
「どうやったら行けるんですか! 僕、どうしてももう一度会いたいんです!」
きちんと話を理解出来ているのかどうかわからないシュエイインに、女性は軽くシュエイインの頭を叩いて答えた。
「人間と同じ輪廻に入るんだよ。そうすればあんた達でも死者の国に行ける」
それを聞いて、どう言うことだろうとコンは思う。人間と夢魔は全く違うもので、同じになれるとは考えがたかった。
けれども、シュエイインは彼女の言っていることを理解した様子で、不思議そうな声でこう訊ねている。
「つまり、それって僕が人間になるって言うことですか?」
「そう。そういうこと」
彼女は縁を司る仙人と聞いた。もしかして縁を繋げてなんとかするのだろうか。 しかしそのなんとかすると言うのがどうにもわからない。おそらく、 その辺りはシュエイインもわからないのだろう。困惑した視線をコンに送ってきている。
ふたりの様子を見ていた女性が、くすりと笑ってこう言った。
「一度死んで、人間として生まれ変わるんだよ」
一度死んで。その言葉を聞いて、 コンはますます困惑する。夢魔が死んだらどうなるのだろう。その前例を見たことが無かったからだ。けれども、 隣にいるシュエイインは即答した。
「わかりました。一度死んで人間になります」
兄は、死ぬと言うことをいつ理解したのだろう。それとも、トオゥを喪って、その時に理解したのだろうか。
コンは戸惑うことしか出来なかった。なにが起こるのか、理解しがたかった。
そんな彼を置いて、女性はシュエイインに語りかける。
「後で後悔したって言っても、人間になる儀式をした後はもう夢魔には戻れないからね。
いつまでも若いままでいられる夢魔と違って、人間は育ち老いていく。それはわかっているのかい?」
女性の言葉を聞いても、シュエイインの決意は揺るがないようだった。それを確認した女性は、 シュエイインに儀式を施すと言って、その準備のために家の中へと戻ろうとした。
コンは思わず、彼女を引き留める。
「待ってくれ!」
「なんだい?」
「俺も人間になる!」
自分が人間になるということを、完全に理解出来たわけでも、納得できたわけでもなかった。けれども、 頼りないシュエイインだけを人間に生まれ変わらせて、遠くへとやってしまうことはどうしても受け入れられなかった。
女性がにやりと笑う。
「あいわかった。じゃあふたりとも人間になる儀式をしようか。
少しここで待ってな」
儀式を行うからとふたりが連れてこられたのは、白い岩に囲まれた小さな池だった。その池は、 現の世界にあるのか幻の世界にあるのか、夢魔であるコンにも区別は付かなかった。
小さな池の中に、ふたりは身を浸す。池の周りに咲いている桂花が、時折風に吹かれてはらはらと降り注ぎ、 芳しい香りを放っている。
「それじゃあ儀式を始めるよ。
苦しくなるかも知れないけど、そこは我慢しなね」
女性が香を焚き呪文を唱える。流れ出る言葉に合わせて、 桂花の降り積もる量が次第に増えてきた。みるみるうちに池の水面は桂花で覆われ、噎せ返るような香りで包まれる。
桂花が池に積もり、自分達の身にも積もる。その強い香りで呼吸が苦しくなり、意識が遠のいていく。
ああ、これが死ぬと言うことなのかと、コンはぼんやりと思う。ふと、 隣にいる兄はどうしているのだろうとそちらを向くと、目を閉じて安らかな顔をしていた。
それを見て、なんだかひどく安心して、気がつかぬまにコンも意識を失っていた。