第十八話

 ドラコが暴漢に襲われてから数ヶ月経って、まだ心の中にわだかまりはあるけれども、なんとか普通の生活ができるようになった頃。久しぶりにドラコはペリエと待ち合わせをして本屋に行くことにした。
 暴漢に遭ってからというもの、普段の食料の買い出しは昼間の明るいうちに行き、それにくわえてゼロに周囲を警戒してもらっていた。ホムンクルス作りに必要なサンゴを育てるための採血も、午前中に病院の予約を取り、サンゴの種を買うのはその時にまとめてやることにして、暗くなる前に用事を全て終えられるようにしていた。
 だから、このところは夜の街というものをしばらく見ていない。マロンと出かけた時も、昼食はいっしょに食べるけれども、夕食の時間までは外にいないようにしているのだから当然だ。
 マロンはドラコが一緒に夕食を食べてくれないのを不思議がっている。それも仕方のないことだ。ドラコはマロンどころかケイトにも、両親にも自分の身に起こったことを話していないし、他のホムンクルスに情報が共有されないようにロックしているのだから。
 久しぶりに来た本屋の最寄り駅。いつもの待ち合わせ場所では、以前と同じようにペリエが一足先に来てドラコのことを待っていた。
「ペリエ、おまたせ」
「そんなに待ってないよ。それにしても、ドラコと本屋さん行くの久しぶりね」
 軽く挨拶をしてから、ペリエが心配そうにドラコに訊ねる。
「まだ、暗くなってから外歩くのこわい?」
 その問いに、ドラコは少し俯いてから返す。
「正直言うと、ちょっと。ゼロちゃんが周りを見てくれてはいるけど」
 それに続いて、ゼロもこう言う。
「見てはいるけど、結局私がなにをできるわけじゃないからね。できるとしたら、なにかあったときドラコを一刻も早く逃げる態勢にさせることくらいかな」
 いささか自虐的になっているゼロをペリエが撫でる。
「下手に抵抗するより、逃げちゃった方が確実でしょ。ゼロもがんばってる」
「おう」
「とりあえず、そろそろ本屋さん行こうか。
今日も日が暮れる前に帰りたいでしょ?」
 その言葉を聞いて、ドラコがおずおずとペリエに訊ねる。
「もし暗くなっちゃったら、家まで送ってくれる?」
「もちろん。暗くなくっても、もし送って欲しかったら送っていくから」
「……うん……」
 優しく返してくれるペリエの言葉を聞いて、ドラコは安心したようだ。以前より少しだけ近い距離感で、ふたりは本屋へと向かった。
 本屋について、ドラコとペリエは本を見て回る。前回一緒に来たときのように、ペリエはまたドラコと一緒に本棚を見ている。ペリエの専門外の本をドラコがお勧めする代わりに、ペリエお勧めの専門書をドラコが勧めて貰うことになっているのだ。
 けれども、ペリエがドラコと一緒に行動しているのは、ただ本のやりとりをするためだけではないようにゼロは感じた。きっと、今度こそ危険からドラコを守りたいと思っているのだろう。
 ドラコが本棚を回り終わった後は、ペリエに先導されて呪術の専門書コーナーに行く。
「こういう本屋さんの店頭にあるのは、専門書って言っても比較的初心者向けのが多いからとっつきやすいと思う」
「あー、たしかに錬金術の専門書もそんな感じだわ」
 ペリエが本棚から本を一冊取り出してドラコに渡す。
「私のお勧めはこれ。
初心者の一歩手前からの本だから、錬金術師でもわかりやすいと思う」
「なるほどなー、ありがと」
 口元に笑みを浮かべるドラコの方を向いて、ペリエも笑みを浮かべる。それから、ふたりは会計へと向かった。
 本屋を出た後はいつもの喫茶店に入る。ドラコはホットティーを、ペリエはホットコーヒーを選んで、おやつは季節限定とあるニオイスミレのスフレにすることにした。
「そういえば、最近マロンさんとケイトさんはどうしてる? マロンさんとは時々会ってるって聞いたけど」
 そう、数ヶ月一緒に出かけない間も、ドラコはペリエと連絡を取り続けていた。取り続けるどころか、もしかしたら以前よりもドラコの方から連絡を取る頻度が増えたくらいだ。なので、ペリエも多少の近況は把握している。
「マロンはあいかわらず。王子様とも会ってるみたいだし。ケイトはしばらく会ってないけど、SNS見る限り今修羅場だよ」
「え? 痴情のもつれ?」
「いや、原稿の」
「あ、そういえばそうね」
 それから少しだけ黙り込んでから、ペリエはまたドラコに訊ねる。
「そういえば、ドラコって恋人いたりしない?」
「え? なんで?」
 突然の質問に、ドラコはきょとんとした声を出す。ゼロも呆れたようにペリエに言う。
「だから、ドラコはいまだに恋を知らないんだって。あんまつつくな」
「ゼロが言うなら、そうなんだよねぇ……」
 なんでそんなことを訊いてきたのかドラコが不思議に思っていると、ペリエは唇をさわさわと触ってから息をついて、少し茶化すような口調でこう言った。
「それなら、私と結婚しない?」
「え? なんで?」
 なぜペリエがこんなことを言い出すのか、ドラコは本当にわからなかった。戸惑っている様子を見て取ったのか、ペリエはこう理由を説明する。
「結婚して夫婦になった方が、お互い入院したときとか、準備したりお見舞いに行ったりとかの融通が利きやすいからさ。
お互い親元離れて暮らしてるんだし、帰る気がないなら、どうかなって思って。
ドラコの実家、他の星でしょ」
「まぁ、それはそうなんだけど、うーん……」
「それに、結婚して一緒に住んでれば、家事も分担できるし、入院しないまでも風邪ひいたときとかさ、お互いケアできるじゃない」
 たしかにそれは一理ある。ドラコもゼロと一緒とはいえ、ひとり暮らしをしていて不安に思うことは時々あるのだ。
「あと、もし出かけて帰りが遅くなっても、一緒に家まで帰れるし、ひとりで出かけてたときもすぐに迎えに行けるでしょ」
「なるほど、たしかに」
 ペリエが自分のことを気遣ってくれているというのを、ドラコは確かに感じた。そして、ペリエと一緒に生活するところを想像して、そんな生活も悪くないと思った。
 一方のゼロは、少し怪訝そうな声でペリエに訊く。
「本当にそれだけだろうな?」
 ペリエはくすくすと笑う。
「どうだろうね」
 しばらくペリエと生活する未来を想像していたドラコが、思い出したように言う。
「でも、一緒に住むのはいいけど家はどうする? お互いの職業柄、ペリエの家に住むのだとちょっと手狭だと思うんだけど」
 ペリエは少し考える素振りを見せてから、ドラコの質問に答える。
「まぁ、結婚してすぐはうちに住むことになると思うけど、新しい家買おうよ。
今の家は賃貸で貸し出せばいいし、ドラコは賃貸住宅のはずだから、引きはらうの難しくはないよね?」
「あー、なるほど。
でも、本当に私と結婚していいの?」
「なんで?」
「ペリエなら、他にもっといい人いそうで」
 少し自信なさげなドラコの言葉に、ペリエはドラコの頭を撫でる。
「今のところ、一番気があうのはドラコだからさ。ドラコはどう?」
「……私も、ペリエなら良いって思った」
 照れたように笑うドラコの言葉に、ペリエも照れたように笑う。
「じゃあ、結婚しちゃおうか」
「うん」
 お互い、一緒にいたずらを思いついたときのように笑い合う。ふと、ドラコがはっとしたように言う。
「でも私、子作りは無理だからね。もうほんと、あればっかりは生理的に無理」
「あ、そこは私も童貞でいたいから問題ない」
 完全に話がまとまった様子のふたりに、ゼロが首を傾げて言う。
「でも、ケイトはともかくマロンが荒れそうだなぁ。結婚ってなると」
 それを聞いて、ドラコはゼロを撫でて言う。
「大丈夫だって。マロンは先を越されたからって怒ったりする子じゃないから」
「せやけど」
 ドラコとゼロのやりとりに、ペリエは少し苦笑いをする。マロンが荒れる理由を、なんとなく察しているのだろう。
 とりあえず。と、ふたりは話を進める。これから結婚するのであれば、色々と準備を進めなくてはいけない。まずは家族への連絡だ。
 思った以上に乗り気なドラコにペリエが驚いていると、ドラコはこう言う。
「だって、友達といつも一緒にいたいもん」

 

 next?