第十話

 この日は雨だった。今日は以前からの約束通り、ドラコとペリエは一緒に、ケイトが出展する同人誌のイベントに行くことになっているのに少し残念だと、待ち合わせの駅で話していた。
 この駅から会場までは徒歩で十分ほど。道行く人々は傘を差して歩いていて、それはドラコとペリエも同様だった。そしてゼロは、雨で濡れてしまわないようにドラコの肩にしっかりとしがみついている。雨で濡れるくらいならばそこまで乾かすのに時間はかからないけれども出先であるというのと、単純に濡れるのが好きではないのでそうしている。
「晴れてたらもっとよかったのにね」
 ペリエがそう言うと、ドラコは朗らかな笑い声を上げてからこう返す。
「いやぁ、なんでか知らないけど、ケイトがイベント出る時っていつも雨降るんだよね。
呪われてんのかってくらい」
「あー、呪われてなくてもそういうのあるよね。結構」
 そんな話をしているうちに会場に着いた。ドラコはもう何度も来たことがある会場だけれども、ペリエははじめてだ。一見こぢんまりしているように見える会場だけれども、意外にも七階建てで、外から見るよりも広く感じた。
 エレベーターに乗って四階へと上がる。このフロアを使ってイベントが開催されているのだ。エレベーターを降りると、すぐにホールへの扉があって受付が置かれている。入場は無料とのことだったので、薄いパンフレットを受け取って中へと入った。
「すぐケイトさんのところに行く?」
 会場に入って足を止めたペリエがそう訊ねると、ドラコはぐるりと周りを見渡して答える。
「折角だから他のところも見て行きたいな。
この広さなら回ってるだけであの子のところに辿り着けるだろうし」
「そうね。じゃあ、まずは回ろうか」
 会場内に並べられた机の上には、出展者ごとに敷き布が敷かれ、それぞれに本が置かれている。布の上いっぱいに本を並べている出展者もいれば、二、三種類しか置いていない出展者もいる。
 本だけでなく、机の上や出展者の背面にポスターが下げられたりもしていて、どこを見てもペリエには珍しい光景だった。自費出版の本を扱う催し物といえば、学会には行ったことがあるけれども、そこではここまで賑々しく本を並べてはいないからだ。
 そして、会場内を歩いていると、ホムンクルスを連れている出展者が多いことに気づく。ドラコやケイトが連れているような、フェルト製の清浄ホムンクルスと呼ばれるものを持っている人は少ないけれども、昔からの製法で作られている生体ホムンクルスを連れている人が多い。街中でこれだけの密度でホムンクルスを見かけることはあまりないので、ペリエはそのことにも驚いた。
 時折、生体ホムンクルスを連れた出展者がドラコ、正確にはゼロの方を向いて不思議そうに口をすぼめる。きっと見慣れないものなのだろう。
 ゆっくりと会場を回っていると、ドラコが手を振ってひとりの出展者に近づく。
「ケイト久しぶり。進捗どうですか」
「あ、姉者。来てくれたんだ。
新刊は無事に出たよ」
 そこには、特にポスターの掲示もなく、その代わりにシンプルな黒板にお品書きを書いて机に置いて、本を並べているケイトがいた。
「どうもお久しぶりです」
「あ、ペリエさんもお久しぶりです」
 ペリエが軽く頭を下げて挨拶すると、ケイトも軽く頭を下げる。その間に、ドラコは財布を取り出して、ケイトに声を掛ける。
「それじゃあ新刊欲しいんだけど」
「はい、まいどありー」
 手早く会計を済ませたのを確認し、ペリエがケイトに話し掛ける。
「そういえばケイトさん、ドラコから本借りて読んだんです」
「まことですか? ありがとうございます!」
 まさか自分の本をペリエに読まれているとは思っていなかったのだろう、ケイトが驚きと喜びの混じった声を上げる。そのケイトに、ペリエはざっくりと本の感想を伝える。すると、ケイトの傍らに浮いているニコが両手を上下に動かして喜んだ。
「うれしいね、うれしいね」
「感想ありがてぇ。これであと十年は戦える」
 ニコとケイトの反応を見て、ペリエは思わず笑みを零す。ドラコも口元が笑っていた。
 ふと、ドラコが周囲を見渡してこう言った。
「そういえば、サークルさんはさすがにホムンクルス連れてる人多いね」
 それはペリエも思っていたことだった。そしていくらかは疑問だった。ペリエが疑問に思っていることを察したわけではないのだろうけれども、ケイトはニコを撫でながらこう言った。
「原稿書くとき、ホムンクルスがいると色々聞けて便利だからね。連れてる人は多いよ」
「そうなんだ?」
 それは初耳といった様子で、ゼロが不思議そうな声を出す。自分たちホムンクルスがそういった面で役に立っているとは思わなかったのだ。
 ケイトはさらにこう続ける。
「ホムンクルスに聞けば、自分で調べなくてもそこそこ情報出てくるから便利だって、結構文芸界隈で有名でね。それでなのかな? 創作文芸はじめたいって言ってる人なんかだと、ホムンクルスを持ってないとできないって思ってる人もいるくらいだよ」
「ええ……私が言うのもなんだけど、ホムンクルスそこそこするじゃん……」
「そうなんだよな。姉ちゃんには感謝してる」
 ホムンクルスは決して安価なものではない。性能の良いノートパソコンくらいの価格がすることなんて当たり前なのだ。それが必須だと思ってしまうと、文芸をはじめるのにハードルが高まるとドラコは思ったようだ。
 ケイトは溜息をついて言う。
「正直、小説書くのに必要なのはホムンクルスよりテキストエディタなんだけどな。
もし本にするつもりがなくて投稿サイトに投稿するだけなら、それこそスマホでもできるし。ハードル上げるのよくない」
 その言葉に、ニコもこくこくと頷いている。きっとニコも、このことに関しては疑問を抱いていたのだろう。
 出展者にホムンクルスを連れている人が多い理由がわかり、ペリエは納得できた。少しの間ドラコとケイトが話しているのを聞いてケイトの本を買った後、余り長居しても悪いからとドラコが言うのでその場を離れた。
 ケイトの机から離れて会場内をもう一周し、その間にふたりは何冊か本を買った。はじめての経験に胸を躍らせたまま、ドラコに連れられてペリエは会場を出た。
 会場を出た後、ファミレスでひと休みしようという話になった。店に入って席に着き、ペリエは周囲に人がいないのを確認してからドラコに訊ねる。
「そういえば、ケイトさんって神様のこと奉ってるの?」
 真剣な声色のその質問に、ドラコは口を結んでから、重々しく返す。
「奉ってる。一番下の弟が攫われたとき、ケイトは幼稚園はいったばっかりくらいだったから、よく覚えてないみたいなんだよね」
「なるほどね」
「でも、私が奉らないことは何も言わない」
「そっか、そうなのね」
 ペリエがこの事を訊いたのは、純粋な興味からだ。ドラコ以外の家族は神様のことをどう受け止めているのか、神様を奉れないドラコをどう思っているのかが知りたくなったのだ。ドラコは俯いて言う。
「でも、あの時のことを覚えてたら、ケイトも神様を奉らなかったかもしれない」
 神様を奉らないというのがどういうことなのか、ドラコはよくわかっている。だから、神様を奉ることを悪くは言えないのだ。
 話を聞いていたゼロが、手を合わせて言う。
「ケイトが神様を奉ってるのは、ニコが奉った方が良いって言ってるのもあるとおもうんだけどね」
「え? そうなの?」
 ペリエは思わず驚いた声を出す。ドラコが作ったホムンクルスがそんなことを言うとは思っていなかったからだ。
「私は、神様を奉らなきゃいけないとは思わない。でも、ニコは建前ってのがわかってるから」
「ああ、なるほど、そういうことね」
 一瞬、制作者が同じホムンクルスの間で意見が分かれるのは珍しいと思ったけれども、根っ子は同じなようだった。
 ドラコが弱々しい声で口を開く。
「ケイトが悪いように見られるの、いやだもん……」
 ドラコは、本当に弟のことが大事なのだ。それがわかったペリエは、ドラコの頭を優しく撫でる。
「うん、でも、あんまり思いつめないでね」
「うん……」
 それから少しの間、店内の雑音だけが聞こえた。暗くなった雰囲気を変えようと思ったのか、ゼロがメニューを指して言う。
「とりあえず、なんか頼もう。お昼食べてないでしょ」
「あ、そう言えばそうだ」
 ドラコがぱっとメニューを開いて、ペリエにも見えるように傾ける。何を食べようかなんて話をしながら、ペリエはもう一度ドラコの方を向いた。

 

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