第一章 ピクルスが連れてきた

 今日は私が出演するバラエティ番組の収録日。この番組はまだはじまったばかりのもので、私はレギュラー出演することになっている。
 バラエティ番組は、アイドルの下積み時代から何度も出ているのでだいぶ勝手がわかっているけれども、昔と今では周りの人達の私に対する扱いが目に見えて変わっているのがわかる。駆け出しのアイドルだった頃は、いろいろと弄られることも多かったし、空気みたいな扱いをされることももちろんあった。
 けれども、今では私はすっかり売れっ子で、年齢のことをチクチク言われたりはするけれども、不愉快になるような言葉をかけられることはだいぶ少なくなった。
 もちろん、全くなくなったわけではなくて、私よりだいぶ年上の人からなんかはセクハラめいたことを言われることもたまにはあるけれども。
 スタジオの中で騒いで笑って、それが取り繕っているものかどうかがわからないままに収録が終わる。他の出演者がぱらぱらと楽屋に戻っていく中、スタジオの片隅で待っていたマネージャーが、密閉式の保存容器を持って私の所に来て声を掛けてきた。
「理奈ちゃんお疲れ様。ピクルス食べるよね?」
 そう言ってマネージャーは、保存容器と個包装された爪楊枝を私に手渡す。
「ありがと。ちょっと囓ってから楽屋行くね」
 このピクルスは、私が番組の収録やレッスンのあとに欠かさず食べているものだ。小腹が空いているとイライラしやすいからと言うのもあるけれども、単純にピクルスの味が好きなので、こまめに作っては現場に持ってきている。
 保存容器を開けて、爪楊枝でパプリカのピクルスを刺して囓っていると、控えめな声で話し掛けられた。
「あの……理奈さん、少しいいですか?」
「ん? なに?」
 誰かと思って声の方を向くと、そこにいたのはだいぶぽっちゃりしているけれども、メイクも髪型も、服装もしっかり小綺麗にまとめている女の子がいた。この子は確か、ぽっちゃりさん向けのファッション誌のモデルをやっている子で、今回収録したバラエティ番組のレギュラーのひとりで、名前は確か、新富チカといったはず。少なくとも、芸名は。
 おどおどとした様子のチカさんに、にっこりと微笑みかける。いつもなら親しくない相手に愛想よくするということはあまり無いのだけれども、遠慮がちに、なんとなく怯えている様子も見せているように感じるチカさんを見て、勇気を振り絞ってでも私に話しかけたいと思って声を掛けたのだろうなと思うと邪険にはできなかった。
「何かご用?」
 私がそう訊ねると、チカさんは私が手に持っているピクルスを見ながらこう言った。
「理奈さん、いつも美味しそうなピクルス食べてるなって思って、気になってたんです」
「そうなんです?」
「やっぱり、そのピクルスってきれいになる秘訣とか、そういうのなんですか?」
 それを聞いて、このピクルスを食べている私のことをきれいだと認識しているのだろうと、直感的に思った。良い気分になり、思わず饒舌になる。
「きれいになる秘訣っていうか、お酢とか酸っぱいものを食べると、疲れが取れやすい気がするんですよね。
それで、収録のあとやレッスンのあとはよく食べてます」
「ほえー、なるほどー」
 感心したような顔になるチカさん。それを見て、私はさらに喋り続ける。
「このピクルスも、普通のお酢だけじゃなくてフルーツ酢とか使って味を変えたり食べやすくしたりしてるんですよ」
「じ、自分で作ってるんですか! すごい!」
 自作なのを褒められなおのこと良い気分になる。じっと私が作ったピクルスを見て、チカさんは何度もすごいすごいという。それから、私の方を見て、ちょっと照れたようにこう言った。
「あの、よかったらこのピクルスの作り方を教えて貰っても良いですか?」
「もちろん! 試してみて」
 いつも持ち歩いているのだろうか、チカさんがスカートのポケットからペンとメモ帳を出して私の言葉を待つ。それを確認してから、私はピクルスの作り方を教えた。
 ひとしきりメモし終わったチカさんが、感心したように呟く。
「レンジで作れるなんて、お手軽でいいですね。
こんなレシピ使いこなしちゃう理奈さん、本当にすごいです!」
「元々は雑誌に載ってた作り方だから、私がそんなにすごいわけじゃないですよ」
「でも、そこから色々アレンジしてるんでしょう? すごいなぁ」
 私が教えたピクルスの作り方に、チカさんが子供のように喜ぶ。それを見ていると、良い気分だとかそう言うのは抜きに、私もなんとなく、嬉しいような気持ちになった。
 そうしている内に、私のマネージャーもそわそわしているし、チカさんのマネージャーも様子を見に来たので、話を切り上げてそれぞれの楽屋に戻る事にした。
 別れる間際にチカさんが手を振ってくれたのを見て、なんだかしあわせだなぁと思った。

 それから一週間経って、レギュラーを務めているバラエティ番組の収録が行われた。一体どんな内容のものを撮ったのか、収録のあとにはすぐに忘れてしまう。それこそ、マネージャーに毎回記録を付けていてもらっていなかったら、先週のあらましなど私にはすぐわからなくなってしまっているだろう。
 そんな、表面だけ笑いを繕った退屈な番組の収録が終わって、いつも通りマネージャーが持ってきてくれたピクルスを爪楊枝で刺して囓る。今日のはリンゴ酢で作ったので、酸っぱさと甘みだけでなく、爽やかな香りも感じた。
 そうしていると、先週と同じように控えめに声を掛けられた。その声に振り向くと、やっぱりすこしおどおどした様子のチカさんが、保存容器を持って立っていた。
「ん? チカさんどうしたの?」
 私がそう訊ねると、チカさんは持っていた保存容器の蓋を開けて、私に見せた。
「先週、理奈さんが美味しいピクルスの作り方教えてくれたから、私も作ってみたんです。
それで、美味しく出来たかどうか味見して欲しくて」
 本当に作ってたんだ! ちょっとだけ驚いて、それならひとかけもらうことにした。
 持っていた爪楊枝で短冊切りになったニンジンを刺して取る。
「いただきます」
 そう呟いてから、ニンジンを囓る。酸味が強いけれども、きっとそういうお酢を使っているのだろう。自分で作ったリンゴ酢のピクルスも美味しいけれど、チカさんのピクルスもさっぱりする感じで美味しい。
 にっこり笑ってチカさんにひとこと。
「すごく美味しい」
「本当ですか? よかったぁ」
 嬉しそうににこにこ笑うチカさんに、私は気になっていた事を訊ねる。
「そういえば、チカさんのピクルスに小さいお魚はいってるけど、これは? 出汁?」
 すると、チカさんはそのお魚を持参のピックで刺してこう言った。
「豆アジをカラッと揚げたやつです。
一応、太くて食べづらい骨は抜いてあるので、このまま食べられますよ」
「えっ、揚げたんだすごい」
「よかったらお魚も一匹どうぞ」
「いいの? わー、いただきます!」
 魚をピクルスに入れるという発想はなかったので驚いたけれども、いい色に焦げてお酢を吸った豆アジは、噛めば噛むほど味が出てお酢の味と調和する。これは確実に、チカさんは料理上手だなと確信した。
 豆アジを飲み込んでから、揚げ物も大変だろうと言おうとしたところで、お互いのマネージャーが呼びに来た。
「じゃあ楽屋に戻りましょうか」
 保存容器の蓋を閉めて、ちょっと名残惜しそうにそういうチカさんと連れ立って、お互いのマネージャーと合流して、楽屋へと戻っていった。

 それからしばらく経って。レギュラーを務めている番組も打ち切りと言う事もなく続き、私は気がつけばその番組の収録日が待ち遠しく感じるようになっていた。
 番組の内容が面白いからとか、そう言う事じゃない。ただ、収録のあとにチカさんと話せる。その事が待ち遠しくなっていたのだ。
「理奈ちゃん、今日もピクルス交換こしよ」
「あーん、私もチカちゃんのピクルス楽しみだった!」
 お互い話すときの堅苦しさもなくなって、だんだん仲良くなれてきたと思う。
 でも、これで私はチカちゃんに、友達になって欲しいと言っていいのかどうかはわからなかった。

 

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