第四章 おいしいパティスリー

 すでに恒例となっている、レギュラー番組の収録後のおしゃべり。今日は私もチカちゃんもこの番組の収録のあとは予定がないので、チカちゃんの楽屋でお互いピクルスを食べながら話をしていた。
「理奈ちゃんのピクルス、今日のはどんなお酢使ってるの? なんか甘酸っぱい」
「今日のはザクロ酢使ってるんだ。ほら、ザクロって美容にいいっていうじゃん」
「ザクロ酢かぁ。理奈ちゃんそういうののアンテナ高いよね」
 ピクルスを交換こしながら食べて話して、ふと、チカちゃんがこんな話を出した。
「そういえば、この前誘ったソフトクリーム屋さんが残念だったから、今度一緒においしいパティスリーに行きたいなって思うんだけど、どう?」
 チカちゃんの方からおでかけに誘ってくれた! その事が嬉しくて、私はすぐに返事を返す。
「うん、一緒に行こう!
どこかお勧めのパティスリーあるの?」
 すると、チカちゃんはにっこり笑ってこう言った。
「お兄ちゃんがやってるお店なんだけど、どのケーキもおいしいの。
こんな感じなんだけど」
 すっと差し出されたチカちゃんのスマホには、おいしそうなケーキやタルトの写真が映っている。おいしそうなだけでなくおしゃれなそのお菓子を見て、思わず声を上げる。
「えっ、すごい、おいしそう!
これ、チカちゃんのお兄さんが作ってるんだ」
「そうなの。何度か食べに行ったけどどれもおいしいんだ」
「なるほどなー」
 そこでふと思った。私たちがレギュラーで出ているあのバラエティ番組は、時々街中の話題のお店なんかも紹介していたはずだ。それを思い出してチカちゃんに訊ねる。
「でも、そんなおいしいお店だったらテレビとかでアピールしても良いんじゃない?」
 すると、チカちゃんはくすくす笑って答える。
「そんなに大きいお店じゃないし、今でも結構お客さんが来るから、テレビで紹介されちゃうと大変になっちゃうってお兄ちゃんが言ってたんだ」
「あー、たしかに。テレビで一過性のお客さんがどっと来ると大変なのもわかる」
 納得していると、チカちゃんが照れたようにこう続ける。
「それでね、お兄ちゃんに理奈ちゃんをお友達として紹介したいんだけど、いいかな?」
 私をお兄ちゃんに紹介する? それはつまり、私はチカちゃんの家族公認で友達と言うことになるのだろうか。そのことに気が動転して思わず叫ぶ。
「いいですとも!」
「本当? うれしい。じゃあ今度一緒に行こうね」
「行こう行こう! あーもう楽しみ!」
 くすくすと笑うチカちゃんから視線をちょっと外すと、チカちゃんのマネージャーがにこりと笑ってスケジュール帳を開いた。そうだ、私もマネージャーにスケジュールを訊かないと。

 それから少し経って、チカちゃんと一緒にお兄さんが経営しているというパティスリーへと向かっていた。都心からちょっと外れた所に有る駅で降りて、閑静な住宅街を抜けていく。そんなに高級な住宅街という感じはしないけれども、この辺りに住んでいる人はおいしいパティスリーが近くにあってしあわせなんだろうなと思った。
「あ、お兄ちゃんのお店はあそこだよ」
 そう言ってチカちゃんが指さしたのは、大きめの道路を挟んで向こう側にある、白い壁のこぢんまりとしたお店だ。入り口の横には黒板が置かれていて、多分、おすすめメニューが書かれているのだろう。
 信号が変わるのを待って横断歩道を渡る。そしてそのまま、チカちゃんが白いパティスリーのドアを開けた。
「お兄ちゃん久しぶりー」
 そうチカちゃんが声を掛けると、中から調理服を着た男の人が出てきた。その人もお腹や腕がぽよっとしていて、どうお世辞を言ってもスリムとは言えない。けれども、チカちゃんを見て嬉しそうに笑う表情は、見ていて凄く安心するものだった。
「久しぶりじゃないかチカ。その、後ろの子はお友達かい?」
「そうなの。仕事で知り合ったんだけど、仲良くしてもらってる」
 仲良くしてもらってるのは私の方なんですけどー! チカちゃんの控えめな物言いに顔が少し熱くなったけれども、にっこりと笑ってチカちゃんの隣に立って、お兄さんに挨拶をする。
「初めまして。チカちゃんに仲良くしてもらってる、月島理奈といいます。よろしくお願いします」
 それを聞いて、お兄さんは何度も頷いている。チカちゃんの友達として認めてもらえるだろうか。そんな風に思っていたら、お兄さんがこう言った。
「いやいや、そんなに固くならなくてもいいんだよ。チカのことをよろしくね」
 それから、お店の奥にある数少ないうちのひとつの客席に通されて、メニューを渡された。めくってみてみるとメニューに載っているケーキの写真は、どれもおいしそうだ。
「えー、どうしよう。どれもおいしそう……」
 逆に困惑してしまっている私に、チカちゃんがにこにこしながら言う。
「あまり他のお店では見ない感じのケーキとかがおすすめかな。ほうれん草のタルトとか、あんまりないでしょ」
「ほうれん草? あっ、ほんとにある!」
 まさか野菜の名前を出されるとは思っていなかったので驚いたけれども、チカちゃんが指している先には、緑色のムースのような物が入ったタルトの写真があった。写真だけ見て抹茶かと思ったけど、ほうれん草だったんだ。
 ふと、メニューの中に、普段見慣れないものが書かれているのに気づく。普段見慣れないというか、パティスリーではまず見ないだろうというものだ。それは、アレルギー表示。アレルギーの恐れのある材料を、どのケーキもしっかりと表記していた。
「えー、アレルギー表示ちゃんとやってるんだ。すごい」
 思わず私がそう言うと、チカちゃんが少し自慢げな顔になった。
「お兄ちゃん、アレルギーのある人でも安心して食べて欲しいからって、そのあたりかなり気を遣ってるみたいなんだよね。
特注で作るケーキなんかは、お客さんに問診票書いて貰ってるんだって」
「問診票」
 パティスリーではまず聞かないものの名前が出て来たけれども、そこまでお客さんのことを気遣ってるのはすごいなと思った。
 とりあえず、自分たちが食べる分のケーキを注文しよう。メニューを決めて、チカちゃんに店員さんを呼んで貰った。

「お、おいしいー!」
 運ばれてきたケーキとお茶を口にして、思わず大きな声が出る。私が頼んだのはほうれん草とバナナのタルトなのだけれども、甘く味付けされたほうれん草のムースと、その下にはスライスのバナナ、甘酸っぱいヨーグルトソースが入っていて、はじめて食べる味だ。
 野菜がこんなにすんなりスイーツになるなんて、今まで考えても見なかった。
「ね。お兄ちゃんのケーキおいしいでしょ?」
 ちょっと自慢げに、嬉しそうににこにこ笑うチカちゃんを見て、思わず頬が緩む。ああ、チカちゃん、お兄ちゃん思いの子なんだなぁ、かわいいなぁ。パンジーでデコレーションされたバタークリームのケーキを食べるチカちゃんを見ながら、ほうれん草のタルトを食べる。タルトがおいしいしチカちゃんもかわいいし、しあわせすぎてここで死ぬのでは? と、いつだったかに思った疑念が頭に浮かぶ。
 ふたりでおしゃべりをしながら食べていると、あっという間にお皿の上が空になる。
「あー、どうしよう。もう一個食べたいなぁ」
 私がそう呟くと、チカちゃんがくすくす笑ってこう言った。
「理奈ちゃん、お菓子はあんまり食べ過ぎちゃダメだよ? お土産用のお菓子も置いてるから、それ試してみる?」
「お持ち帰り用、そういうのもあるのか」
 確かに、いくらおいしいからと言ってお菓子を食べ過ぎるのはよくない。それなら、チカちゃんのおすすめどおり持ち帰り用のなにかを買っていこう。そう決めて、でもすぐに席を立つのが名残惜しくて、もう少しだけチカちゃんとその場でおしゃべりをした。

 おしゃべりをたっぷり堪能したあと、帰り際にお持ち帰り用のお菓子を買った。カリカリに焼いたメレンゲとのことだけど、透明なパッケージ越しに見えるメレンゲは、かわいくてとてもおいしそうだ。
 駅に向かう途中、チカちゃんに話し掛ける。
「チカちゃん、このメレンゲちょっと一緒に食べる?」
「もう、そんなに食べたら理奈ちゃんも私みたいになっちゃうよ?」
 くすくすと冗談めかしてそういうチカちゃん。たぶん、食べ過ぎて私が太らないか心配しているのだろう。でも、私の隣でにこにこして、ふわふわした優しい雰囲気で和ませてくれるかわいいチカちゃんを見ると、私もいくらか太ってもいいかなと思った。

 

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