第九章 騎士の隊列

 エルカナの言葉に天使が黙り込む。そのようすを見ていたミカエルは、先程からずっと感じている違和感のことを考える。
 どうにも、エルカナの天使に対する態度がおかしい気がするのだ。ただ、どうおかしいのかまではわからない。ただ漠然とした違和感があるだけだ。
 しかし、そのことを考えていてもどうしようもない。ミカエルはその場にいる全員に言う。
「とりあえず、夜盗をどうにかしましょう。
天使様が悪心を払ったからといって放っておくわけにもいきません。
捕らえてどこかへと一旦置いておかないと」
 その言葉を聞いたエルカナは頷き、こう提案した。
「天使様、お手数ですが夜盗を捕らえる指示を村人達に出していただけないでしょうか。あの人数を私達だけで捕らえるのは骨です」
「わかりました」
 天使が立ち上がったところで、窓から外を見たミカエルが指示を出す。
「村はずれに廃屋がいくつかあります。とりあえずはそこに夜盗を入れておけばいいでしょう。僕は、夜盗を連れていってもらえるようオニキス様に書簡を書きます。
もう夜が明けてきたから、伝書鳩を飛ばせますし」
 これで各人の役割分担はできた。少しずつ夜が明けていった。

 夜盗達を縛り上げ廃屋に詰め込んだ後、天使はこの村を去って行った。そのことを村人は残念がったけれども、天使はいつまでもは地上にいられないとマルコが説明したことにより落ち着きを取り戻した。
 そして日が昇って昼頃、隣の村まで熊を捌ける人物を呼びに行っていた村人が帰ってきた。隣の村の村人は、早速熊を捌きながら、ミカエルと話をする。
「いきなり踊り出す呪いを解くのに、熊の肉が必要なんて、不思議な話ですね」
「この肉は何人分くらいになるかな?」
「うーん、そうですね……」
 隣の村の村人が提示した量は、なんとか踊り病にかかった村人全員に行き渡るくらいのものだったけれども、継続的に与えるにはまだ量が足りない。
 一緒に見ていたマルコがミカエルの方を見て耳打ちする。
「できれば、最低でも全員に二週間は与え続けられるだけの量が欲しいです。
今後の予防も考えると、他の村人にも与えたいですし、一ヶ月分ほど……」
「そうですね……追加で狩ってきてもらうしかないか……」
 こそこそとやりとりをしているマルコとミカエルに、隣の村の村人は不思議そうな視線を向ける。
「どうしました?」
「いや、この肉だけだと足りなさそうだから、追加で熊を狩ろうかという話をしていたんだ。だから、あなたにはしばらくこの村にいて欲しいのですが」
 ミカエルにそう言われた隣の村の村人は、少し困ったような顔をしてからこう答えた。
「そうは言っても、そろそろ農作業をしないといけないんでね。なるべく早く帰りたいところなんですよ」
 隣の村の村人の言い分ももっともだ。けれども、熊を捌ける人がいないのも困る。
 ミカエルがどうしたものかと悩んでいると、マルコがおっとりと微笑んでこう言った。
「この村の呪いを解く手助けをしたとなったら、あなたは英雄にも等しいです。きっと神様のご加護もあるでしょう。
どうか、お助け願えませんか?」
 それから、ちらりとミカエルに視線をやる。
「修道士様のおっしゃるとおりです。
それに、僕の作った香油でよければ、報酬としてお分けできますが」
 それを聞いた隣の村人は驚いた顔をしてからにやりと笑う。
「いやいや、修道士様にお願いされて、香油までもらえるとなったらしばらくいてもいいですよ。任せてください」
 高く売れる香油をもらえるとなった隣の村の村人は上機嫌だ。それを見て、ミカエルとマルコはこっそりと安堵の溜息をついた。

 ミカエルがオニキスの元へと書簡を送って数日、エルカナとルカとウィスタリアに狩ってもらった熊を隣の村の村人に処理してもらいながら、その肉と脂を踊り病にかかった村人に与えていた。
 踊り病の村人には、普通の食事を摂らせるのも大変だったけれども、幸いなことにマルコがこういったことには慣れていて、ミカエルひとりで対応していたときよりもだいぶ楽だった。
 今日も踊り病の村人に熊肉を与える。そうしていると、外から村人達の騒ぎ声が聞こえてきた。
 なにごとかと思ったミカエルとマルコが声のする方へ行くと、チェインメイルを身に纏い、馬に乗った騎士達が列をなしてやって来ていた。
 前方二列にいた騎士が道を開け、後ろから恰幅の良い騎士が現れる。その顔を見て、マルコが驚きの声を上げた。
「領主様、何故このようなところに?」
 その言葉に、領主はおっとりと微笑んで返す。
「オニキス君からこの村に夜盗が入ったと書簡が来てね。夜盗を引き取りに来たんだよ」
 まさか領主自らやってくるとは。予想外の出来事にミカエルが動揺していると、領主が集まっている村人達をぐるりと見渡して訊ねる。
「さて、この村の長は誰かな?」
「はい、私でございます」
 すぐさまに前に進み出た村長に、領主は仕えている騎士になにかの入った袋を渡すよう言い、言葉を続ける。
「夜盗に襲われたのは不幸だったけれども、全て捕らえてくれたのだろう? よくやったね。これは褒美だよ」
 騎士から袋を受け取った村長は、早速袋を開けて中身を確認し、上機嫌なようすで領主に頭を下げる。
「ありがとうございます。領主様のお役に立てて光栄です」
 その言葉に、領主はまたにこにこと笑って言う。
「この村には天使様の助けがあったようだね。だから、なにがあっても諦めないように。
でも、これから先のことは心がけ次第だから気を引き締めるように」
「はい! かしこまりました!」
「それじゃあ、君たちも仕事があるだろう。
そろそろ家におかえり」
 領主の言葉に、村人達は銘々に何度も頭を下げてから家や畑へと帰っていく。ミカエルとマルコも仕事に戻ろうとしたけれども、突然呼び止められた。
「そこの君、ちょっとおいで」
 手招きをされて驚きながらも領主の側に行くと、領主は腰に着けていた袋からレースの付いたハンカチを取り出してミカエルに差し出した。
「影の功労者は君なんだろう? これを褒美に取らせよう。
夜盗の対応だけでなく、奇病の報告も感謝しているよ」
「あ……ありがたいお言葉です」
 手渡されたハンカチを見てミカエルの手が震える。そのハンカチに施されたレースは、まさに領主の家の柄で、こんな大それたものをもらってしまって良いのかと思ったのだ。
 固まっているミカエルから視線を移し、領主はマルコに声を掛ける。
「あなたはこの村の奇病のことをまとめて、後ほど報告してください。
医者との情報共有もしたいので」
「かしこまりました」
 ミカエルとマルコが頭を下げていると、領主がこう訊ねてきた。
「ところで、この村に流行っている奇病を治すために手伝えることはあるかな?
なにか、必要なものを持ってくるとか」
 その言葉に、ミカエルは恐縮しきりといったようすで返す。
「それでしたら、奇病を治すために熊などの獣の脂が必要なので、獣を狩っていただきたいです。
今は街から来て下さった修道士様達に狩りをお願いしているのですが、人手が足りなくて」
「……なるほど」
 ミカエルの申し出に、領主は騎士達を見回してこう返す。
「わかった。いつまでもはいさせられないけれど、狩りができる者を数人残していこう」
 随分と気前の言い領主に、ミカエルは恐る恐る訊ねる。
「それにしても、何故領主様自らこの村にいらしてくださったのですか?」
 その問いに、領主はにこにこと笑って返す。
「夜盗達を根こそぎなんとかしたいというのもあるし、領内の視察というのもあるし、それに」
「それに?」
「オニキス君が目をかけているという人物を見てみたくてね」
 その言葉に、ミカエルはただ頭を下げるしかできなかった。

 

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