第六章 熊を狩る

 家の周りにまた人が集まっている気配がする。おそらく、修道士の祈りを請いたい村人が集まっているのだろう。
 外から声が聞こえる。
「修道士様、どうかうちの人のために祈ってください」
「どうか呪いを解くために祈りを」
 それを聞いたエルカナは、戸惑った様な表情でミカエルを見る。
「どうしましょう。我々は村の方々のために祈りに行った方がいいでしょうか」
 その問いに、ミカエルはマルコから渡された書簡をちらりと見て返す。
「そうですね。修道士のみなさまには、村人の心をおさめるために祈りを上げて欲しいです。
ですが、この量の情報をひとりでまとめるのは難しいので、誰かひとり、手伝って欲しいのですが」
 ミカエルの言葉に反応したのはマルコだ。
「でしたら、こういったものの突き合わせをするのは私が慣れていますので、私がお手伝いしましょう」
 これで話がまとまったと察したのだろう、エルカナとルカとウィスタリアが立ち上がって頷き、玄関へと向かう。
 三人が玄関から出ると、何人もの村人が指を組んで、少し遠巻きに集まっていた。
「修道士様、この村にかけられた呪いは解けるのですよね?」
 その問いに、エルカナは戸惑った様な表情をしたけれども、それを隠すようにウィスタリアが前に出て堂々と話す。
「大丈夫です。ミカエルと先程いらした修道士が呪いの原因を今、突き止めているところです。
不安でしたら、私達が祈りを上げましょう」
 その言葉を聞いて、エルカナがおずおずと小声でルカに話し掛ける。
「彼は随分と自信たっぷりに話していますけれど、そんなにミカエルさんのことを信頼しているのでしょうか」
 その言葉に、ルカは少し曖昧に笑ってから返す。
「そうですね。彼はミカエルさんに命を助けられたこともあるそうなので」
「なるほど……」
 本当ははったりが得意なだけなのだけれども、それを素直に言ったらエルカナがどんな反応をするかわからないと、先程のようすから察したようだ。
 修道士達は村人に請われて、各々村人の家に行き祈りを上げることにした。

 一方、ミカエルの家の居間ではミカエルとマルコで食糧の突き合わせが進められていた。
 しばらく何枚もの資料と付き合わせていった結果、判明したのはこの村には肉、特に動物性の脂肪が足りないということだった。
「なるほど、街の人々は結構加工肉を食べますからね」
 マルコの呟きに、ミカエルは額を押さえて言う。
「この村の食糧は穀物と野菜が主で、動物性の脂と言えば保存用の塩漬けの豚脂しかない。なるほど、これが足りていなかったのか」
 肉が足りないならと、マルコは当然のようにこう提案する。
「でしたら、家畜を屠って与えればいいのではないですか?」
 ミカエルは頭を振る。
「いえ、それでは足りません。この村の家畜は数が少ない上、全て屠ってしまったらこの先がなくなります」
「では、どうしたら……」
 困惑するマルコに、ミカエルは少し考えてから答える。
「近くの森に狩りに行くのがいいでしょう。
できれば、熊を狩れるのが一番良い」
「熊ですか、なるほど。大きいですし脂肪も多いですからね」
 一瞬納得しかけたマルコだけれども、ふっとミカエルの方を見て訊ねる。
「この村に、熊を狩れる狩人は?」
 ミカエルは両手を上げて肩をすくめる。
「生憎、踊り病にかかっています」
 自分で提案しておいて為す術がないのか。そう思ったミカエルに、マルコが玄関の方を振り向いてこう言った。
「でしたら、エルカナさんに狩ってもらいましょう」
「エルカナさんに?」
 予想外のことを言われてミカエルが驚いていると、マルコはにこりと笑ってこう返す。
「エルカナさんはああ見えて、クロスボウの名手なんです。いつも外に出るときはクロスボウを護身用に持ち歩いてるんですよ」
 それはそれでこわいなとミカエルは思ったけれども、とりあえずそれ以外に手立てはなさそうだ。エルカナに狩りに行ってもらうために、ミカエルは家を出て修道士達を呼びに行った。

 ミカエルから熊を狩ることを依頼されたエルカナは、荷物持ちとサポートのためにウィスタリアとルカを連れて、村から歩いて行ける距離にある森へと入っていった。
 森の中で周囲を伺いながら、エルカナは村人から渡された矢に意識をやって呟く。
「それにしても、あの村のみなさんは石の鏃の矢を使っているようですけれど、なぜでしょう。
鉛の方が加工も楽だし、殺傷力も高いのに」
 その素朴な疑問に答えるのはルカだ。
「あの鏃に使われている黒曜石は、見た目に寄らず鋭く、貫通力が高いのです。
それに、鉛は万が一口に入ると重篤な障害を引き起こします」
「そうなのですか?」
「そうです。
遙か昔の王で、鉛を使った器で酒を飲み、狂ってしまった者もいると聞きます」
 そこまで話したところで、ウィスタリアがふたりに静かにするよう手で指示を出す。それから、暗い木々の間をすっと指さした。
「あそこだ」
 エルカナの目には、そこになにがいるのかはわからない。けれども、ウィスタリアの耳はしっかりと熊の鳴き声を捉えていた。
「私が目星を付けます」
 ウィスタリアが持っていた籠から矢を何本か抜き出し、ルカがウィスタリアの指さした方に弓で射かける。すると、たしかになにかがいるのがエルカナにもわかった。
 ルカの矢は熊のようなものに当たる気配はないけれども、大方の目星は付けられた。エルカナは矢を一本クロスボウにつがえ、撃ち込む。すると、大きな叫び声が森に響いた。
 続いてもう一本撃ち込む。すると叫び声は途絶え、低い木の枝が折れる音と熊が倒れ込む音が聞こえた。
 修道士達は恐る恐る倒れた熊に近寄る。すると、倒れた熊の両目に、エルカナが撃った矢が命中していて完全に熊の脳を仕留めているようだった。
「こわ……」
 思わずそう呟いたウィスタリアに、ルカが声を掛ける。
「とりあえず、この熊を村まで運びましょう。三人でやればなんとかなるはずです」
 ウィスタリアが熊の頭の方を持ち、ルカとエルカナが熊の足の方を持つ。エルカナが随分と大変そうな顔をしたけれども、ここは頑張ってもらうしかない。

 修道士達が村に熊を持ち帰ると、熊の肉が呪いを解くためのものだという話をミカエルがしていたようで、村人達の間に歓喜の声が上がった。
 しかし、熊の肉を捌ける村人は、今まさに踊り病にかかっているそうで、近くの村に熊を捌ける人を呼びにいっているようだった。
 近くの村とはいえ、往復に時間はかかる。それに、向こうの都合もあるのですぐさまにというわけにはいかないだろう。
 けれども、どちらにせよ熊肉は熟成させないと食べることはできない。なので、熊を捌ける人を待ちつつ、熟成させることにした。
 捌ける人を呼びに行き、熊を熟成させている間にも踊り病にかかる村人は現れた。
 ルカが籾殻の入った袋を踊る村人に投げつけ尻餅をつかせ、その村人をミカエルとマルコのふたりで家に運んでベッドに縛り付ける。それから診察をするものの、熊の肉を捌くまでは擦り切れた足の裏に軟膏を塗るくらいしかできることがない。
 ミカエルとマルコが村人の診察をしている間、他の修道士達は村人のために祈りを上げている。
 けれども、それでも不安は拭えないのだろう。踊る村人を診ていたマルコに、村人の家族が不安そうに訊ねる。
「修道士様、本当に呪いは解けるのでしょうか」
 その問いに、マルコは微笑んで返す。
「呪いを解く方法をやれるだけやってみます。
時間はかかると思いますが、きっと魔女も諦めるでしょう」
 マルコの穏やかな表情と声に、村人は安心したようだ。
 しかし、熊の脂を村人に与えて治るのかどうか。これは本当にやってみたいとわからないことなのだ。
 もし治らなかったら、その時はどうするか。ミカエルは考えを巡らせた。

 

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