第九章 初めてのショートケーキ

 私の友人は、おいしいお店を見つけてくるのが得意だ。
 おいしいお店というのは、ランチやディナーだったり、スイーツだったり、とにかく食べ物に関してならなんでもだ。どこで探してくるのかと訊いたことはあるけれど、にっこりと笑って、秘密。と言うだけだ。そんな友人に、おいしそうなパティスリーを見つけたからと、おでかけに誘われた。
 おいしそうなパティスリーか。どんなところだろう。友人と一緒にそのパティスリーの最寄り駅まで行って、お店までの道中そのことを考える。
 私も、甘くておいしいものは好きだけれども、パティスリーと聞くと少しだけ気落ちしてしまう。なぜなら、私は小麦のアレルギーがあって、おいしいと評判のパティスリーに行ってもほとんど食べられるものがなかったりするからだ。ほとんど、と言っていられるお店はまだいい。中にはお茶以外なにも口にすることができないこともあるのだ。
 友人は、そのことを知っているはずなのに、なんでわざわざ私をパティスリーに誘ったのだろう。ひとりで行くのが寂しいからだろうか。それならそれでいいのだけれども、私は、またきっと友人が食べるようなケーキは食べられないのだろうなと思うと、やはり暗い気持ちになってしまう。
 静かな住宅街を抜け、大きな道路に出る。この道路沿いに、目的のパティスリーはあるらしい。しばらく道路沿いを歩いていると、横断歩道の向こうに白い壁の小さなお店があるのが目に入った。
「あ、あのお店だよ」
 そう言って友人がそのお店を指さす。ちょうど青信号だったので、急いで横断歩道を渡る。渡りきったところで、信号は赤に変わった。
 お店の前に出ている看板を見ると、ケーキの写真とお店の名前が掲示されている。どの写真のケーキもおいしそうだけれども、ひとつだけ気になることがあった。それは、このお店の店名だ。
『パティスリー・メディクス』
 パティスリーという単語と、メディクスという単語がなぜ並んでいるのだろう。もしかして、漢方系の医食同源をモットーにしているパティスリーなのだろうか。
 私がそんなことを考えていると、友人は早速店のドアを開けて中へと入っていく。慌ててそれに続いた。
 店員さんのいらっしゃいませを聞いて、入ってすぐの所にあるショーケースを見ると、おいしそうなケーキがたくさん並んでいた。そこで、私はあることに気づいた。このお店のケーキは、値札にアレルギー表示が書かれているのだ。食べられるものがあるかどうかは置いておいても、これは助かる。
 まじまじとショーケースを見ていると、真っ白いクリームと真っ赤ないちごが印象的なショートケーキが目に入った。小さな頃から憧れていたそのケーキを見て、きっと食べられないのだろうなと思った。けれども、一応アレルギー表示を確認すると、ナッツと米という表記はあれども、小麦という文字はなかった。
 私は驚いた。小麦を使ってないショートケーキなんて、本当に存在するのだろうか。
 アレルギー表示に表記漏れがあるのではないかと思って、ショーケースの向こう側に立っている店員さんに訊ねる。
「すいません、この、真ん中の段のショートケーキなんですけど」
「はい、どうなさいました?」
「アレルギー表示に小麦って書いてないんですけど、本当に小麦を使ってないんですか?」
 すると、店員さんはにこりと笑ってこう答えた。
「はい、そちらのショートケーキは小麦を使用しておりません。
当店のオーナー独自のレシピで、米粉とアーモンド粉で焼き上げた特別な一品となっております」
 それを聞いて、どうしようもなく嬉しくなった。このショートケーキなら、私でも食べられるんだ!
 喜びを友人に伝えようと振り返ると、そこに友人はいなくて、どこに行ったのだろうと店内を見渡したら、奥側の客席に座って席を取っていた。友人と目が合うと、にこにこと笑って手招きをしている。私はうきうきしながら、友人が待っている席に向かった。
 席につくと、友人はメニューを見ながら悩んでいるようだった。
「あー、期間限定ケーキ気になるー。
でも、他のもおいしそうだなぁ」
 そう言ってメニューのページを捲る友人が、私の方をちらりと見てこう訊ねてくる。
「なに頼むか決まった?」
 私は迷わず答える。
「このショートケーキにする」
「そっか」
 私の言葉に、友人は心なしか嬉しそうだ。
 友人もなにを頼むかを決め、お水とお手拭きを持って来た店員さんに注文を伝える。私は宣言したとおりに米粉のショートケーキとコーヒーを、友人はタルトタタンとルイボスティーを頼んだ。
 ケーキと飲み物が届くまでの間、友人と話をする。私が食べられるショートケーキがあるなんて思っていなかったので、食べられるショートケーキがあったのが、どれだけ嬉しかったか。そのことを支離滅裂ながらに友人に伝えると、友人はにっと笑ってこう言った。
「このお店なら、あんたが食べられるケーキがいっぱいあると思ったんだ」
 そう言われて、改めてメニューを見返す。メニューにも当然のようにアレルギー表示があって、中にはちらほらととはいえ、小麦が使われていないものもあった。
 全体から見たら数は少なくなるけれども、それでも他のパティスリーに比べたらだいぶ選択肢が多い。驚きを隠せない私を見てか、友人がこう続ける。
「このお店、アレルギー持ちの人でも食べられるケーキを作ってるお店を探したら出てきてさ、絶対にあんたを連れてこなきゃって思ってた」
 私のためにわざわざ探してきてくれたんだ! そう思うと、思わず涙が滲んだ。
「……ありがと」
「おう、いいってことよ」
 涙を拭っていると、店員さんが飲み物とケーキを運んできた。目の前に置かれたショートケーキは、真っ赤ないちごと真っ白なクリームのコントラストがきれいで、やっと憧れに手が届くのだと、また嬉しさがこみ上げてきた。
 いただきますをして、フォークでケーキを口に運ぶ。すこしもちっとしたスポンジは香ばしくて、甘いクリームと少し酸っぱいいちごと口の中で混じり合って、はじめて食べる食感と味だった。
 ひとくち食べて飲み込んで、少し間を置く。本当に、このショートケーキを食べてアレルギー反応が出ないかどうか、少し不安になったのだ。
 その間に、友人はタルトタタンを食べ進める。タルトタタンもおいしそうだったけれども、あれは生地に小麦を使っているようなので、私には食べられない。
 友人が口休めにルイボスティーを飲んでいるのを見てから、私はまたショートケーキを口に運ぶ。やっぱりおいしい。それに、本当にアレルギー反応も出ないようなので、そのまま食べ進めた。
 ふたくち目以降、夢中になって食べて、いささか興奮気味になった私に友人が言う。
「念願のショートケーキはどうだ?」
 それを聞いて、一旦気持ちを落ち着かせようとコーヒーを口に含む。コーヒーを飲み込んで、答える。
「すごくおいしい。こんなケーキ、はじめて食べた」
「気に入ったようでなにより」
 友人はもう自分の分のタルトタタンを食べきっていて、あとはルイボスティーを残すばかりだ。私も、ショートケーキはあとひとくち分しかない。
 名残惜しさを感じながらも、最後のひとくちを食べる。ああ、今の私はなんてしあわせなんだろう。子供の頃から食べたくても食べられなかったショートケーキを、ふわふわのスポンジに真っ白なクリーム、真っ赤ないちごの乗った、みんながおいしそうに食べていた憧れのケーキを、ようやく食べることができたのだ。
 ケーキを食べきって、コーヒーを飲んでいるとまた涙が滲んできた。突然泣き出した私のことを変な目で見ることもなく、友人はティッシュを一枚出して私に渡す。それで涙を拭ってから、私はまたメニューを開いた。
「すごくおいしかったから、他のケーキおかわりしちゃおうかな」
 すると友人はまたにっと笑って口を開く。
「他のお店だとなかなかケーキ食べられないでしょ。今のうちにいっぱい食べときな」
 友人とまた一緒にメニューを見て、今度はどのケーキを食べようかと悩めるのは、とても楽しかった。

 

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