第十章 思い出の琥珀糖

 今日も厨房は忙しい。担当のパティシエにタルトのカップを焼くための指示を出したり、焼いたばかりのスポンジの型抜きの指示を出したりする。俺は明日店頭に出すためのマカロンの生地を練って、オーブンに入れたところだ。
 そこで、表に出ていた店員がら声が掛かった。予想通り、オーダーをしにきたお客さんがいるとのことだった。いつも通りに注文書と問診票を挟んだクリップボードとボールペンを持って、店頭へのドアをくぐる。
「お待たせしました。オーダーとのことですが、どのようなものをご希望でしょうか」
 ショーケースの向こう側にいるお客さんにそう訊ねると、何故だかお客さんは気まずそうな顔をしている。この店には難しい注文を持ってくるお客さんも少なくないので、このお客さんもきっと、自分が作ってもらいたいものを、本当に作ってもらえるかどうか不安なのだろう。
 意を決したように、お客さんがこう言った。
「あの、こちらのお店では、和菓子は作っていただけますでしょうか?」
「和菓子ですか?」
 うちの店は、基本的には洋菓子を置いている。けれども、調理師学校時代に若干は和菓子に触れているので、ものによっては作れる。
「ものによりますが、どのような和菓子をご希望で?」
 そう訊ねると、お客さんは少し俯き気味になってこう答えた。
「琥珀糖を作って欲しいんです」
「琥珀糖ですか」
 普通の琥珀糖なら、時間が掛かるとはいえ俺にも作れる。けれども、琥珀糖は他の店でも売っているはずだ。それでも敢えてこの店にきたということは、なにか事情があるはずだ。
「とりあえず、どのような琥珀糖をご希望か、問診票をご記入の上で、こちらの注文書にもご記入お願いします」
 そう言って書類の挟まったクリップボードをお客さんに手渡し、空いている客席へと通す。少しでも緊張がほぐれればと、コップ一杯分の水もテーブルの上に置いた。
 しばらくして、お客さんが記入した問診票と注文書を持って来た。
「それでは、拝見しますね」
 受け取った注文書には、先程言っていたように琥珀糖を作って欲しいという旨が、そして、問診票の方を見ると、アニサキスアレルギーがあると書かれていた。
 なるほど、アニサキスアレルギーか。寒天でできた普通の琥珀糖でも滅多にアレルギー反応を起こすことはないと思うけれども、海産物だと万が一を完全に排除することはできない。寒天以外のものを使って、琥珀糖に近いものを作る必要があるだろう。
「あの、やっぱり無理でしょうか」
 気落ちした様子のお客さんに、俺はにっこりと笑って返す。
「大丈夫です。こちらのご注文、承ります」
 するとお客さんは、震える声で、ありがとうございます。と言った。

 さて、注文を受けたはいいけれども、寒天を使わずにどうやって琥珀糖のようなものを作れば良いのか。琥珀糖の特徴としては、甘く味を付けた寒天を小さく切って乾燥させ、表面を固まらせたものという感じだ。表面の歯ごたえと中の寒天の柔らかさを、どうやって表現するか。それを考える。
 寒天以外の増粘剤で琥珀糖の柔らかい部分を作るとして、どんな増粘剤を使うか。増粘剤にも色々あるけれども、俺が普段よく使う増粘剤は、ゼラチンとアガーだ。様々なアレルギーに対応するためにそれ以外の増粘剤も用意はあるけれども、使い慣れているのはその二種類なのだ。
 どちらを使って琥珀糖にするか。ゼラチンは一度水と混ぜると高温で溶けてしまうし、アガーは賞味期限が短くなりがちだ。しばらく考えて、ゼラチンを使おうと決める。よくよく考えたらアガーの原料は海藻だ。うっかりしていた、寒天を避けるのにアガーを使ったのでは本末転倒だ。それに、ゼラチンなら砂糖を多めに入れれば日持ちもする。
 琥珀糖の中身を決めたところで、表面の固い部分をどう表現するかを考える。砂糖をまぶせば味はかなりそれらしくなるだろう。けれども、それだとだいぶ食感が変わる。その表面の砂糖を一枚の板として固めてしまいたいのだ。
 砂糖をまぶして表面を炙るか。いや、それだとゼラチンが溶けてしまう。また少し考えて、表面の膜は飴で作ろうと決める。成形に少々手間はかかるけれども、上手くやればあの歯ごたえを再現できそうだ。
 とりあえず、今夜店が終わった後に試作してみよう。今は明日店頭に並べるケーキや焼き菓子の準備をしなくては。

 そしてその日の夜、早速試作をしてみた。まずは飴の材料であるグラニュー糖を溶かして、つるっとした大理石の台の上に流して薄くする。固まったら、それをいくつもの小さな正方形に切っていき、切ったものの端をバーナーで炙って溶かし、接着し、飴の箱を作る。それを飴で作ったパーツのほとんどを使い切るだけ組み立てたら、ゼラチンで作るゼリー液の用意だ。
 定量の水を鍋で沸かし、ゼラチンを入れてそれが溶けたら、砂糖を入れる。かなり多めに入れたけれども、琥珀糖のあの甘さを出すにはこれくらいで丁度良いはずだ。
 ゼリー液を火から下ろし、粗熱を取る。その間に、セリー液をいくつかの器に移して着色料を入れる。琥珀糖といえばカラフルなものがイメージされるので、色を付けようと思ったのだ。
 ある程度ゼリー液が冷めたら、先程の飴の器に流し込んでいく。それから、飴で作った正方形のパーツで余っていたものの端を炙って蓋をして、接着する。それを冷蔵庫に入れて、ゼリー液を固まらせる。
 固まるまでの間、事務室に入って今日作った琥珀糖風のゼリーのレシピを書き留める。もしこれが失敗でも、今後のためにレシピを残しておくに超したことはないのだ。
 一時間ほどゼリーを冷やし、固まっただろうという頃合いで冷蔵庫から出して試食をする。冷えた状態でなら、かなり琥珀糖に近い食感だ。敢えて言うなら、見た目の透明感が少々高い気はするけれども、上々の出来だと思う。
 問題は、これを常温で置いておいてどうなるかだ。多分、問題はないと思うけれど、今日はこれを厨房の隅に置いて、明日の朝にまた味見をしよう。できれば、他の従業員の意見も聞きたい。

 結果として、あの琥珀糖風ゼリーは十分琥珀糖に近いという意見をもらえた。なので、あれをそのまま作ってお客さんに渡すことにした。
 琥珀糖の受渡日に、前日のうちに作って置いた琥珀糖風ゼリーをパッケージする。そうしていると、あのお客さんが受け取りに来たようだった。
 店頭に出て、お客さんに琥珀糖風ゼリーを手渡す。
「お待たせいたしました。こちらが琥珀糖になります」
 それを見て、お客さんは嬉しそうだ。一応、一般的な琥珀糖に比べて賞味期限が短いことだけを伝えると、お客さんは何度も何度も頭を下げて、お礼を言った。

 それからまたしばらく経って、あの時のお客さんがまた店にやって来たらしい。対応した店員から、あのお客さんから手渡された手紙というものを受け取った。
 封筒に入ったその手紙を、遅めの昼食を食べているときに開く。中には二枚の手紙が入っていた。
 一枚は、あのお客さんからのお礼の言葉だ。どううやらあの琥珀糖は、あのお客さんのお母さんが食べたがっていて、けれどもだいぶ前に発症したアニサキスアレルギーのせいで琥珀糖を食べられずにいたので注文しに来たらしい。丁寧にお礼の言葉が綴られていた。
 そしてもう一枚は、あのお客さんの母親からの手紙だ。アレルギーを発症してから、ずっと食べられなかった琥珀糖をもう一度食べられて嬉しかったとある。なんでも、琥珀糖はこの人が子供の頃から大好きなお菓子で、特別な日にはいつも用意して食べていた思い出の味なのだという。
 もう琥珀糖を食べて思い出に浸ることもできないのだろうかと諦めていたのだけれども、あの琥珀糖風ゼリーを食べて、懐かしい思い出がたくさんよみがえったという。
 その手紙にも、何度もお礼の言葉が綴られていて、この人は本当に、あの琥珀糖で喜んでくれたのだということがわかる。
 またあの琥珀糖を注文しに行くかもしれないと、どちらの手紙にもある。大切な思い出をよみがえらせるためのよすがであるなら、何度でも作ろうと思える。
 そう、こうやってお菓子で救われる人のために、この店はあるんだ。

 

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