第十四章 目指す道は違えど

 今日も無事にパティスリーでの仕事を終える。いつもならこのままスーパーに寄って夕飯の材料を買って帰って、それから自分で夕飯を作るのだけれど、今日はオーダーのケーキの受け渡しが二件もあったので、かなり疲れている。家に帰ってから、自力で夕飯の準備を出来る気がしない。
 どうしたものかと少し考えて、たまには駅近くの店で食べていってもいいだろうと思い立つ。
 店から駅まで歩き、さて、どこの店に入ろうかと考える。駅ビルの中に飲み屋とファミレスは入っているけれども、そういう気分でもない。この周辺のお店を思い浮かべて、そういえばキャンプ風のメニューを出してくれる店があったなと思い当たる。
 キャンプ飯は普段縁がないので、たまには食べてみてもいいだろう。そう思い、駅前からバス通りに出て少し歩く。そこは飲食店がちらほらと並んでいる通りで、その一角にキャンプ飯のお店はある。
 通りに面した壁面がガラス張りになっていて、その店の中は外からでもよく見える。落とし気味の照明はあたたかで、落ち着いた雰囲気だ。
 ガラスのドアを開けて中に入る。店内をぐるりと見渡すと、壁際にはキャンプ用品と思われる鞄やロープ、ガス缶らしきものが並べられている。店内の席数は少なく、客の入りもまばらだ。
 ふと、奥の席から声が掛かった。
「武じゃないか。こんなところでめずらしいな」
 その声の方を見ると、そこにはこの街に引っ越してきてから知り合った、他の店のパティシエがひとりで四人席に座っていた。
「なんだなんだ、久しぶりだな。
この店にはよく来るのか?」
 俺が彼にそう訊ねると、相席を勧められたので、お邪魔して向かいの席に座る。
 彼が皿に盛られたトルティーヤをつまみに、ビールを飲みながら答える。
「この店は休みの前日によく来るな。
キャンプに行きたくてもなかなか行けないから、気分だけでもと思ってさ」
 そう、彼はキャンプが趣味のようなのだけれども、近頃はなかなかキャンプに行けていないらしい。彼が店の壁際を見て言う。ここに来ると、色々欲しくなって困るけどね。それから朗らかに笑った。
 店員がメニューを持って来たので、俺もなにを注文するかを選ぶ。ガーリックライスとフライドチキン、それにきのこの白ワイン煮を頼むことにした。飲み物は、明日も仕事だからグレープフルーツジュースにしよう。
 店員に注文を伝え、しばらく水を飲みながら彼と話をする。
「そういえば、去年はキャンプに行けたのか?」
 俺がそう訊ねると、彼は親指を立てて答える。
「お盆の時期に、ちょっと長めに店を休みにして、ちょろっと行ってきたよ」
「なるほど。どのあたりに行ってきたんだ?」
「車ごとフェリーで運んで貰って、北海道に行ってきた。
俺がよく使うキャンプ用品出してる会社が経営してるキャンプ場があってさ、ずっと行ってみたかったんだ」
 それから、彼はそのキャンプ場での事を俺に話す。夏でも気温が低くて防寒具を持っていって正解だったとか、併設のショップでついつい買い物をしてしまっただとか、いつか冬に行ってみたいだとか、そんな話だ。
 楽しんでこられたようでなにより。と思いながら話を聞いて、彼に言う。
「今年もキャンプを楽しめるといいな」
 すると、彼は頭を振ってこう返す。
「今年は難しいかもしれない。
なんせ、次の製菓のコンテストに出る予定でさ」
 それを聞いて驚きを隠せなかった。コンテストに出るということは、そこまでの技術が身についたと彼自身が自負しているということだし、気がつけばそこまで技術を上げていたということだからだ。
「すごいな。がんばってこいよ」
 俺がそう言うと、彼はビールをぐっと飲んで、こう言ってきた。
「お前他人事だけどさ、お前もコンテストに出ないか?」
「え?」
「お前も、コンテストに出るだけの技量があるだろう。どうだ」
 彼の突然な提案に、俺は笑って返す。
「いやぁ、俺はコンテストに出る気はさらさら無いんでね」
 そこで、店員がグレープフルーツジュースを持って来たので、いただきますをしてから早速口を付ける。
 目の前の彼は、にこにこと笑って俺に言う。
「そっか、それは残念だな。
でも、コンテストで金賞を取ったり、そこまで行かなくとも入賞できれば、もっと店が繁盛するんじゃないのか?」
 それに続けて、もっとも店を繁盛させるためにコンテストに出るわけでもないけど。と彼は言う。
 そう、コンテストで入賞できれば、もっと店は繁盛するかもしれない。けれども。と彼に言う。
「繁盛してくれるのは嬉しいけどね。
でも、今以上に繁盛すると、切り盛りするのが大変なんだ」
「まぁ、それはそうだな」
「今以上に繁盛させるつもりなら、もっとしっかり後継を育ててからだな」
 俺の言葉に、彼はじっと俺の目を見てこう訊ねてくる。
「日本一になる気はないのか?」
 日本一。日本で一番技術のあるパティシエとして認められるのは、それは名誉なことだと思うし、世界への足がかりにもなるだろう。でも、それは俺が目指すものではないのだ。
「俺は、日本一になる気はないな。
必要な人に、俺の作るお菓子が届けばいい」
 そう返してから、続けて彼に訊ねる。
「お前は、日本一になりたいのか?」
 すると彼は、真面目な顔をしてこう答える。
「俺はなりたい。日本一になって、その次に世界一になって、そうしたらたくさんの人に俺のことを知ってもらえて、たくさんの人のところに届けられるだろうからな。
たくさんの人に届けるには、知名度が必要なんだ」
「なるほどな」
 確かに、彼の言い分ももっともだ。俺だって、よりたくさんの人に届けたい。けれども、俺が届けたいと思っているものは、お客さん個人個人としっかりと向き合って、そうやって作り上げるものだ。だから、知名度を上げて販路を広げるにしても、俺の手の届く範囲か、もしくは俺がいなくてもしっかり務めを果たせる後継を育ててからでないと、知名度を上げることは逆に自分たちの首を絞めることになりかねないのだ。そう、今の規模感が、現状では最適なのだ。
 そうこうしているうちに、ガーリックライスときのこの白ワイン煮が運ばれてきた。それをしっかり味わいながら噛みしめて、飲み込む。なかなか良い味だ。目の前の彼がここに通うのもよくわかる。
 ビールを飲んでいる彼に言う。
「きっと、俺とお前では目指すところが違うんだ」
 すると、彼はまたにっこり笑ってこう答える。
「その通り。武とでは、持ってるポリシーが全然違うからな。でも」
「でも?」
 トルティーヤを口に放り込んで噛みしめ、飲み込んで彼が続ける。
「おいしいものをたくさんの人に届けたい気持ちは、一緒だと思ってるよ」
「……そうだな」
 そう、おいしいものをたくさんの人に届けたい。その気持ちは一緒なのだ。ただ、俺と彼とではターゲットが違うだけで。
「お前が目指すものに近づけるよう、応援してるからさ」
 そう言って彼がビールのジョッキを掲げる。俺も、グレープフルーツジュースの入ったグラスを掲げて返す。
「俺も、お前が目指すところに辿り着けるよう応援してるからな」
 お互い手に持った飲み物をひとくち飲んで、食事を続ける。この時、他にどんな話をしただろう。取り留めもなくて覚えていられなかったけれども、それは確かに心地良い時間だった。
 俺の方があとから来たので食べ終わるまで時間がかかったけれども、彼は快く付き合ってくれた。こういった関係はありがたいものだ。
 食事が終わって、会計をして店を出る。俺と彼とでは帰り道の方向が逆なので、別れ際にハイタッチをして、それぞれの帰路についた。
 家に帰る道中、自分が目指す道はとても大変で難しいものだと改めて思う。だからといって、彼が目指す道が簡単なものであるはずでないのもわかる。
 目標は違っても、それぞれに大変で、努力が必要なのだ。

 

†next?†