第九章 正体見たり

 紙の守出版を出た悠希は、折角神保町に来たのだから本屋を見ていこうと、大通り沿いにある古本屋へと入る。この辺りは古書店も多く、今では絶版になってしまった本の取り扱いもあるので興味を惹かれるのだ。
 もちろん、古い本であるから載っている情報も古いのだけれども、それも含めて、当時はどの様な時勢だったのかを考えるのには役に立つ。
 何冊かぱらぱらと立ち読みをして、気になった本を数冊手に持ってレジへと向かう。会計をして、袋に入れられた本をいつもの鞄に入れると、少しだけ肩が重くなった。
 古本屋から出て、そろそろ帰ろうと駅へと向かう。駅までの道は、大型書店の脇から入るこぢんまりとした通りだ。この通りにも本屋や飲食店がちらほらと並んでいる。
 静かなその通りを歩いていると、突然背後から声が聞こえた。
「見つけたぞ新橋悠希!」
 その声にびくっとして、悠希は恐る恐る振り返る。すると、そこには三つ編みお下げにスクール水着、それに申し訳程度に鎧のパーツをつけている、悪の秘密結社の幹部ですと言わんばかりの女の子が立っていた。
 はじめの頃は彼女に怯えていたけれども、何度もこうやって声を掛けられるので、悠希もそろそろ慣れてきた。
「なんですか、ココアさん。今日はどの様なご用件で?」
 困ったような顔をしてそう言う悠希に、ココアと呼ばれた女の子は、堂々とした態度で答える。
「うむ、お前が小説家デビューしたのを赤いクラゲとして祝っていなかったと思ってな」
「はぁ」
 赤いクラゲは、自称悪の秘密結社だ。悪の秘密結社と言っている割には詰めが甘かったり、妙なところで法令を守っていたりと悪っぽさはあまりないのだけれども、何度か連れ去られそうになったことはあるので、悪の秘密結社ではあるんだよなぁ。と悠希は認識しているようだ。
 でも、その赤いクラゲがなぜ小説家デビューを祝ってくれるのだろう。それはそれで不思議に感じる。
「そういうわけで、今日はお祝いを言いに来たぞ。
おめでとう!」
「ありがとうございます?」
 こういう時、どんな感情を持てば良いのか悠希にはわからない。いや、大体の人はこんなシーンに立ち会ったらどうすれば良いのかわからなくなるだろう。
 お礼を言いながらも戸惑っている悠希に、赤いクラゲのココアがこう提案してきた。
「折角だから一緒にお祝いのケーキでも食べに行かないか?」
「お祝いの」
 悠希は少し考える。普段は沢山の戦闘員を伴って悠希を攫っていこうとはするけれども、こうやってココアがひとりで来るときは、そこまで危険な目にあったことはない。それに、今回はお祝いと言っているのだ、付いていっても大丈夫だろうと悠希は判断した。
「わかりました。どこに行きますか?」
 返事をすると、ココアは通りをぐるっと見渡して、地下に続く階段を指さしてこう言った。
「そこの喫茶店なんかどうだ?
お前は普段、そこの書店の喫茶店に行くことが多いみたいだから、たまには別の所も良いだろう」
「えっ……何故それをご存じで……?」
「赤いクラゲの情報網だ」
 プライバシーを覗かれているというのは余り良い気はしないけれども、もし噂話程度ならそこまで目くじらを立てることでもないだろうと、悠希は受け流す。
「それじゃあ、そこに入りましょうか」
 ココアにそう言うと、ココアが先導して階段を降りていくので悠希もそれに続いた。

 喫茶店に入り、メニューを見る。他のお客さんから好奇の視線を向けられている気はするけれども、今ここでそれを気にしたら負けだと、悠希はメニューに集中する。
 この店はコーヒーが売りのようなので、それならばと、悠希はブレンドコーヒーとミルクレープを選ぶ。ココアはブレンドコーヒーとアップルパイにするようだ。
 店員に注文をして、しばらく待つと、コーヒーとケーキが運ばれてくる。ケーキの香りはわからないけれども、コーヒーは確かに香り高く、いかにも美味しそうだった。
「いただきます」
「いただきます」
 ふたりでそう言って、コーヒーに砂糖やミルクを入れてかき混ぜる。まだ熱くて飲めそうにはない。
 先にケーキを食べるかと、フォークでミルクレープを切って、悠希がふとココアの顔を見る。やはり、似ている気がした。悠希が思い切ってと言う様子でココアにこう言った。
「ところでココアさん、僕が小説でお世話になってる校正さんに、ココアさんがそっくりなんですけど、気のせいですかね?」
 すると、ココアは気まずそうに視線をそらして、アップルパイをひとかけ口に運ぶ。もぐもぐと口を動かし、飲み込んでからココアが答える。
「まぁ、よくある顔だからな」
「そうですか?」
 ココアの答えに、悠希は納得したわけではない。ミルクレープをひとくち食べてから、ココアにまた言う。
「うちの鎌谷君、ご存じですよね」
「ああ、あの宇宙犬だろう?」
「その鎌谷君が、校正さんの名刺に付いてた匂いと、ココアさんの匂いが似てるというか同じって言っていて」
 すると、ココアは俯いて頭を抱えてしまった。それを見た悠希は、いよいよこれは当たりだなと確信したようだ。
 俯いたままのココアが、か細い声で言う。
「……みんなには黙っていろ……」
「まぁ、言う相手もいないので」
 しばらくふたりで黙り込んで、ようやくココアが顔を上げてコーヒーに口を付けると、伺うように悠希を見て呟いた。
「私のこと、嫌いになったか?」
 それに対して悠希は、さも意外といった顔で返す。
「好かれてると思ってたんですか?」
「せやな……」
 そもそもとして、赤いクラゲとして会っているときの自分が好かれる要素などないと、ココアは思ったようだ。悠希から視線を外して、ちびちびとコーヒーを飲んでいる。
 そんなココアに、悠希がこう続ける。
「でも、はじめはこわかったけど、今は嫌いではないです」
 少しはにかんで言われたその言葉に、ココアは顔を真っ赤にしてコーヒーを置く。それから、アップルパイを大きめに切って口の中へと詰め込んでいる。
 明らかに動揺しているココアに、悠希は改めてといった感じで頭を下げ、こう言った。
「これからも、校正でお世話になります」
 急に悠希が素直になったからだろう、ココアは動揺を隠せないようだ。なんとか口の中のアップルパイを飲み込んで、少し大きい声で返事をする。
「まかせて!」
 その様が微笑ましく感じられたのだろう、悠希はくすくすと笑って、念を押すようにさらに言う。
「でも、できればこれからは一般人の姿で目に前に出て来て欲しいです」
「考慮する」
 さすがにスクール水着にパーツを足しただけの格好の女性と歩くのは、悠希としても恥ずかしいという気持ちはあるのだろう。
 ふと、悠希が真面目な顔をしてココアに訊ねる。
「ところで、赤いクラゲって結局なんなんですか?」
「悪の秘密結社だ」
「それはわかってるんですけど、僕を攫おうとする意外にあまり悪い事ってやってないじゃないですか。
だから、実態がわからないんですよ」
 悠希の疑問に、ココアも真面目な顔をして答える。
「そうだな。悪の秘密結社というのは建前だ。
こちらが悪だと名乗れば、他の悪人も油断する。それを利用して、不必要な悪人を排除すると言う事をやっている」
 それは実質正義の味方では? 悠希は訝しんだ。
「ただ、我々の名を騙ってほんとうの悪事をするやつらも絶えないからな。
それも利用すれば、悪いやつらを炙り出すのには便利だが」
「そうなんですね」
 ある程度納得はしたけれども、悠希はあるひとつのことだけが納得出来ない。それも訊ねる。
「それじゃあ、なんで僕を攫おうとするんですか?」
 その問いに、ココアは表情を崩さずに返す。
「前にも説明したと思うが、お前達一族は何かしらに強さを持った遺伝子を持っている。
その遺伝子を研究するために、一番攫いやすそうなお前をターゲットにしている」
「遺伝子を研究してどうするんですか?」
「ん? 医学に生かすのだが」
 ココアの言葉を聞いて、それならそうとはじめから言ってくれれば、協力することも考えたのにと思いながら、悠希はようやく、赤いクラゲについて色々と納得出来たようだった。

 

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