第十章 不老不死の薬

 コンの家に戻り、これからお茶でも飲みながら仙丹の話をしようということで、ウィスタリアとルカはいつもの椅子に座りコンがお茶を用意するのを待っていた。
 仙丹とはどんなものなのだろう。ウィスタリアはそもそも賢者の石というのもどういう物なのか全くわかっていないので、それに似たものといわれていても想像できない。
 ルカならどんな物か想像付くのだろうかとちらりと見ると、難しい顔をしている。やはり想像できないのだろう。
 いつもの蓋付きのカップが出され、コンも席についてお茶をひとくち飲んでいる。これから仙丹について、どんなものか聞かされるのだ。緊張していると、コンがカップを置いてこう言った。
「仙丹には手を出すな」
 仙丹について聞かせてくれるといったのに、これはどう言うことだろう。不思議に思っていると、ルカが明らかに不満そうな顔で口を開く。
「どういうことですか?
人間にセンタンを渡すのが惜しいということでしょうか?
それとも、皇帝と直接取引をしなくてはいけないとか?」
 いささか苛ついた様子のその言葉に、コンは真っ直ぐに視線を返して答える。
「率直に言おう。
この国で仙丹と呼ばれているものの正体は、水銀だ」
 それを聞いて、ルカが明らかに動揺した様子を見せる。けれども、ウィスタリアには水銀というものがなんなのかわからない。
「水銀って言うのはなんですか?」
 きょとんとしているウィスタリアに、コンとルカが口々に説明をする。
「水銀ってのは、水のように流れる銀色の金属だよ」
「かつては薬として使われていたこともありますが、その毒性は強烈。
口にすればすぐさまに人の命を奪い去る、おそろしいものです」
 それを聞いて、ようやく危険性がわかったウィスタリアが顔を青くする。なぜそんなものが不老不死の薬として珍重されているのかはわからなかったけれども、そんな物を持って帰るわけにはいかないと、困り果ててしまう。
 ウィスタリアとルカの戸惑いを見て、コンは倚子から立ち上がって言う。
「もし不老不死を求めるのであれば、他の薬をやるよ」
 それを聞いて、ルカもあわてて立ち上がる。
「あの、不老不死の薬というのは、本当に存在するのですか?」
「いま持ってくる。ちょっと待ってろ」
 奥にある自室に入ったコンは、棚の中から陶器の瓶を取りだして持ってくる。それから、ふたりの目の前で蓋を開け中身をひとつ取り出した。
 それを見てふたりは顔を青くする。コンが取り出したのは、きのこのような物が生えている虫だ。およそいままで見たこともない不気味な物体を指さして、コンが言う。
「これは冬虫夏草っていう、冬は虫の姿で過ごし、夏はきのこの姿で過ごす、永遠の命を持つっていう生き物を乾燥させた物だ」
「その虫は、本当に永遠の命を持ってるんですか?」
 大人しく乾燥させられている虫を見てウィスタリアがそう訊ねると、コンは肩をすくめて返す。
「そんなわけないだろ。あくまでも伝承でそうなってるだけだ。
実際は、土の中で虫が冬眠している間にきのこが寄生した物だよ」
「ということは、それを摂取することで永遠の命を得ることは?」
 虫から目を逸らして訊ねるルカには、こう返す。
「もちろんできない。
けれども、不老不死の伝承が付きまとっているというのは事実だ」
 コンの言葉を聞いて、ウィスタリアとルカは顔を見合わせる。それから、他に不老不死を得られるものはないのかと訊ねると、これ以外に不老不死が言い伝えられている物はないと言うのが答えだった。
 これでは使命を果たせたことにはならないのではないか。そう思ったけれども、なにも持たずに帰るわけにもいかないし、もちろん、ずっと帰らないでいることもできない。
 それを察したのだろう。コンは冬虫夏草を紙に包んでルカに渡し、こう付け加える。
「不老不死の『可能性』があると聞いたと言っておけ」
「でも、それは嘘を言うことになるのでは」
「嘘じゃない。『可能性』は常に否定できない。蓋を開けるまで不老不死は存在する状態と存在しない状態が常に同居している。
そうだな。俺を見てどう思う?」
 それを聞いてルカとウィスタリアははっとした顔をする。たしかに、いま目の前にいるコンは、悪魔とはいえ不老不死を実現していると言っても差し支えないのだ。
「不老不死の生き物から分けて貰ったものとなれば、上の者も納得するでしょう」
 大人しく冬虫夏草の入った包みを受け取るルカに、ウィスタリアが訊ねる。
「それじゃあ、これで目的は果たしたし、もう帰ることになるんですか?」
「そうですね。修道院の皆さんも待っていることでしょうし」
 それを聞いて、コンは眉尻を下げてふたりに言う。
「これで帰るのか?」
 それに対して、ウィスタリアは名残惜しそうな顔をして答える。
「そうですね。これ以外に用事はないから」
 できればもう少しコンと一緒に過ごしたかったけれども、修道士としていつまでも修道院を空けているわけにもいかないのだ。
 帰って欲しくないという様子のコンと、まだ帰りたくないといった様子のウィスタリアを見て、ルカがなにか考える素振りを見せる。それからこう提案した。
「そうですね。あまりここに長居するわけにはいきませんが、ここへ来る時と同様、帰るためにも色々と準備が必要です。
ですから、準備ができるまでしばらくここのお世話になりたいのですが、よろしいでしょうか?」
 それを聞いて、コンとウィスタリアの顔が明るくなる。
「もちろん構わないさ。
なんだったら、兄ちゃんが帰ってくるまでいてくれたって良いんだぞ」
「ほんと? コンのお兄さんっていつ帰ってくるんですか?」
「わかんない」
「ん~……」
 もうしばらくここにいられると言う事に安心したけれども、期限がいまいちわからないという様子のウィスタリアを見て、ルカがこう付け加える。
「準備を整えるまでに一年ほど欲しいですね。ですが、我々もいつまでもはここにはいられないので、それ以上伸ばすのは好ましくないです」
 ここにいられる期限はあと一年。それを聞いてウィスタリアも、コンも複雑そうな顔だ。けれども、いつまでもここにいるわけにはいかないというのは皆わかっているようだった。
 寂しそうな顔をするコンの頭を、ウィスタリアが撫でる。
「お兄さんいなくて寂しいんだ」
「別に、そんなんじゃないし」
 これからの一年はきっと短い。けれどもその間に、心の準備をしなくてはいけないのだ。

 

†next†