第六章 人との生活

 トオゥを娶ったシュエイインを最初に悩ませたのは、 トオゥに食べさせる食事のことだった。トオゥはあくまでも人間であるわけだから、 シュエイイン達夢魔のように人から精気を食べたりするわけにはいかない。

 その辺りの展望もある物だと思っていたコンには呆れられ、 当面の分工面する分の持参金すら受け取らなかったのは何故だとトオゥにも呆れられ、シュエイインは縮こまるしかない。

 はじめの三日ほどはコンが蓄えていた食糧で何とかなると言うことで何とかすることにして、 その間になんとか食糧を得る方法を模索せざるを得なかった。

「私が刺繍をするから、それを売ってお金にすれば良いんじゃない?」

 刺しかけの物と、出来上がった物、幾つかの刺繍物を広げたトオゥがそう言うと、コンがこう言う。

「それも収入源の一つとしては有りだな。

だけど、一応それ以外の収入源も確保はした方がいい」

 それを聞いたシュエイインは、良いことを思いついたと言う顔で、こう提案した。

「僕が麓の村で仕事を探すよ。

みんな僕が夢魔なのは知ってるから、安定的に力仕事頼めるって」

「ちょっと待てよ兄ちゃん。なんで身バレしてんだよ」

 突然の告白にコンが真顔になる。それを見て、シュエイインはしどろもどろながらにこう説明した。

「えっと、前にお金が必要で人間に雇って貰ってたことあるんだけど、その時の面接で、 隠し通せなくてぽろっと言っちゃって、それで」

「よくその時に退治されなかったな?」

 どうにも人間を警戒している様子のコンに、シュエイインはさらに説明を続ける。

「あの、なんか怒られそうにはなったけど、好きな子に贈り物したいからお金が必要で、それで働きたいって言ったら、 なんとなくそのまんま雇ってくれて、気がついたらみんな知ってて」

 それを聞いて頭を抱えるコンと、おろおろしているシュエイインを見てか、トオゥが小さく笑い声を出す。

「まさか、シュエイインさんがそんなに危ない橋を渡ってるなって、知らなかった」

 つられて、照れたようにシュエイインも笑う。コンも、過ぎたことは仕方がないかと、なんとか納得した様だった。

 

 それからというもの、シュエイインが村で働き、トオゥが刺繍を売って、三人で生活を続けた。

 シュエイインとコンは夢魔である都合上、どうしても人間から精気を食べなければいけないのだけれども、 シュエイインは他の娘の所へ行くこともなく、トオゥからだけ精気を分けて貰っていた。

 シュエイインとトオゥの間に、子供はいない。夢魔は子をなすことが出来ないし、出来たとしても、 トオゥも年齢的につらい物があるのだ。

 ふたりで働いて、毎日弟が料理を作ってくれて、たまにつらいことやけんかをすることもあったけれど、 それはあまりにも幸福な時間だった。

 月日は流れ、年老いていくのは人間だけ。シュエイインが働いている村では何人も知り合いが亡くなっていたし、 トオゥもすっかり老いてしまった。

 体の動きが衰えたトオゥはしばしばシュエイインにこう言った。

「私みたいなおばあちゃんじゃなくて、若い娘のところに行っても良いんだよ」

 その度に、シュエイインはトオゥを抱きしめてこう答える。

「僕は最期までトオゥと一緒にいるって決めてるから」

 その度に、腕の中でトオゥは幸せそうに息をつくのだ。

 トオゥから得られる精気も少なくなり、シュエイインが常に空腹を抱える様になって、 そんなある日のことだった。いつもなら鳥の鳴き声がする頃には目を覚ましているはずのトオゥが、目を覚まさないのだ。

 疲れていたのだろうか、 それともたまたま深く眠っているだけなのだろうか。不思議に思ったシュエイインがトオゥの手を握ると、 皺だらけのその手は冷え切っていて、今朝はそんなに冷え込んだだろうかと首を傾げる。

 台所から朝食の匂いが漂ってきて、いよいよ起こさなくてはと思い、体を揺する。けれども、 トオゥはまったく起きる様子を見せない。

 トオゥの手を握ったままシュエイインがおろおろしていると、ある事に気づいた。慌てて手首を握ると、 昨夜までは脈打っていた手首が、静かだった。

 

 トオゥは、シュエイインとコンが住んでいる洞穴のすぐ側に葬られた。

 久しぶりに兄弟ふたりきりの生活に戻ってから、シュエイインは自ら精気を食べに行く様子も無く、かといって、 コンが集めてきた精気も僅かしか食べなくなってしまった。

 初めてのことだったのだ。弟と同じくらい、いや、もしかしたら弟よりも大事にしていた者を喪うなどと言う経験を、 今までしたことが無かったのだ。

 毎日落ち込んで、毎日あんなに美味しそうに食べていたコンの料理にも手を着けなくなって、 それでも衰弱することができない。

 もし仮に、トオゥが生まれ変わるまで待って、また迎えに行くことが出来るなら。そう思っても、 またこうやって喪うことを考えるとつらくて怖かった。

 そんなある日のこと、ついに見かねたのか、コンがシュエイインにこう言った。

「兄ちゃん、俺に良い考えがあるから出かけよう」

 一体どこに行くというのだろう。シュエイインはトオゥが眠るこの場所から離れたくなかったけれども、 半ば強引に身支度をさせられ、家から出た。

 向かう先は、この山の頂上に住む仙人の住処だという。

 

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