季節は夏、日差しもかなり厳しい今日この頃、母上が避暑に行くと言いだした。
「こんな暑いのに家に籠もってちゃやってらんないわ。
どっか涼しい川辺でも高原でも行かない?」
「僕は仕事が入っているので避暑行けません。」
僕の言葉に母上は不満そうになる。
そんな顔したって仕事がある物は有るんだから仕方がない。
「じゃあアーちゃん一人で行ってくる。
何処に行こうかしら。」
母上が暫く避暑に行くと言うことは、暫く静かな日々が送れるな。
そう思いながらお茶を飲んで、その日のお昼は過ぎていった。
それから数日後、母上が避暑に行ってしまったので、僕は一人で家にいる。
一人と言っても、アフタヌーンティーの時間にソンメルソやメチコバールが来るのだけれど。
今日もアフタヌーンティーの時間にソンメルソが来ると言っていたな。
その時間まで、僕は工房に籠もって仕事をしている。
今度の依頼の品はダイヤモンドとオニキスの指輪。
石のサイズに合わせて座金を作っている所だ。何か今回のデザインは、オニキスを土台にして、 中央にダイヤモンドをセッティングすると言った、少し難しい感じの物なので、 色々と手間が掛かる。
ずっと作業をしていると、突然手が震えだした。
この所、手の震えが多くて作業に支障が出てきていて困っている。
此が寒い時期なのだったら、手が悴んでいるのだろうと納得できるのだが、 この暑い時期にそれはないだろう。
もしかしたら暑さで疲れているのかも知れない。
そう思った僕は作業を一旦中断して部屋に戻った。
部屋に戻り、ベッドに転がってどれくらい経っただろうか。
メイドが僕の部屋に来て、 アフタヌーンティーの準備が出来た事とソンメルソが尋ねてきた旨を伝える。
僕はベッドから起きあがり、応接間に向かう。
応接間に入ると、もうお茶が用意されており、 ティーポットを持ったソンメルソが立って待っていた。
「やぁ、寝てたみたいだけど、調子悪いのかい?」
「ちょっと夏バテしたみたいでね。
まあ座りなよ。」
挨拶もそこそこに、僕とソンメルソはテーブルを挟み、向かい合って席に着く。
それと同時に、ソンメルソは手に持っていたティーポットをテーブルの上に置いた。
「注いで置いてくれたの?」
僕の問いかけに彼が答える。
「ああ、お前猫舌だから早めに注いで置いた方が良いかなと思って。」
そう言いながら、猫舌でないソンメルソは、まだ湯気の立っている熱いお茶を一口飲む。
僕もお茶を冷まそうと、両手でティーカップを持って口元へ運ぶ。
するとその様子を見たソンメルソが、今度は僕に訊いてきた。
「そんなにお茶熱いか?」
「何で?」
「いや、両手で持ってるからさ。」
そう、僕は普段、ティーカップを持つ時片手で持っている。
両手を添えるのはとても熱い物を持つ時位だ。
でも今日は熱くて両手で持っているのではない。僕は理由を話した。
「凄く熱い訳じゃないんだよ。
ただ、最近手の震えが酷くて。
危なくてティーカップを片手で持ったり出来ないよ。」
僕の説明にソンメルソは心配そうな顔をする。
「手が震えるって、大丈夫か?
夏風邪を引いてるとか、そんなんじゃないよな。」
「そうじゃないと思うよ。
多分、夏バテして体力落ちてるんだと思う。
疲れがとれれば多分治るよ。」
「そうか、それなら良いんだが。」
彼はまた一口紅茶を飲んで、お茶請けのカステラを一口食べる。
そう言えば今日のお茶が何なのか気になる。
「今日のお茶はなんだろう?」
特に特徴があるという訳ではない香りなので、鼻の悪い僕は、 このお茶は香りだけでは何だか解らない。
僕の言葉にソンメルソは、味わうようにまた一口お茶を口に含む。
「今日のお茶は…ルフナだな。」
「え、本当?」
ルフナは渋みが少なく、僕の好みのお茶だ。
早く飲みたくて、まだちょっと熱いかなと思いながらもティーカップに口を付ける。
…やっぱり熱い。
一口だけ飲んで、僕はティーカップをソーサーの上に置いた。
暫くソンメルソと二人で話ていると、誰かが尋ねてきた。
誰かと思ったら、何やら土産物の様な箱を持ったメチコバールだ。
「やぁ、今日はどうしたの?」
「いや、最近調子が悪いと聞いたので、差し入れだ。」
「そう?ありがとう。良かったらお茶飲んでいきなよ。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
メチコバールを応接間に通して席を勧める。
それから、メイドにティーセットをもう一セット持ってくるように頼んだ。
「所で差し入れって何?」
まだちょっと熱いお茶を飲みながら、僕は箱を持ったメチコバールに訊ねる。
「『ドヨウのウシの日』と言うのを知っているか?」
「何それ。」
「聞いた事もないな。」
全く聞いた事もない言葉を聞いて、僕とソンメルソの頭にクエスチョンマークが飛ぶ。
それを見て、メチコバールは詳細な説明をしてくれた。
「なんでもジャポンの風習らしいのだが、 夏の暑い時期にウナギを食べると夏バテ防止になるとの事だ。
それで、デュークが最近疲れ気味だと言うのでウナギを持ってきたんだが。」
それを聞いたソンメルソが何故か顔を顰める。
「ウナギ…なんでよりにもよってそんな物食べるんだ?」
どうやらウナギがお気に召さなかった様子。
けれど、僕はウナギがどんな物か知らない。
「ねぇ、ウナギって何?」
その問いにソンメルソが気味悪そうに答える。
「何か蛇と蛙を足して割ったような、気持ち悪い魚だよ。
東洋人は良くそんな物食べられるな。」
蛇と蛙。僕の頭の中では上手く想像できなくて、鱗の生えた蛙とか、 足の生えた蛇が浮かんでくる。
確かに気持ち悪いかもなぁ。
しかし一方では、メチコバールが他の事を主張する。
「何を言う、ウナギは勿論、蛇も蛙も栄養豊富で滋養に良いのだぞ。
それに捌いてしまえば何の肉だか解らなくなるのだし気後れする事は無い。」
何か割と乱暴な事言ってないか?
「とりあえず、今日持ってきたウナギはもう捌いて焼いてある物だからな。
見てそんなに驚く物でもないと思うぞ。」
そう言ってメチコバールは手に持っていた箱を開ける。
いや、待って!
僕まだ心の準備出来て無いから!
そう言おうと思ったけれど、言う間もなく中身が出されてしまう。
そして、中から出てきたのは、白いお皿に乗っかった、平べったい何かの切り身。
ああ、確かに。言われた通り見て驚く物でもないなぁ。
「此がウナギ?」
こんがりと焼けた白身魚風の物を見て僕が訊ねると、 「そうだ、至って普通だろう?」
と、メチコバールがほれ見ろと言わんばかりの顔で答える。
「まあ良かったら食べてくれ。」
との事なので、僕は早速、お茶と一緒に頂くことにする。
「それじゃ頂きます。」
お皿の上に乗った白身魚ウナギを、 僕が食べるのを信じられないと言った顔でソンメルソが見ている。
さっき話に聞いた限りだと、なんかぬめぬめした触感がしそうだったけれど、 実際にそんな事はなくて、淡泊な味わいで、特に生臭いという訳でもない。
「うん。美味しいよ、此。」
意外と美味しいそのウナギを、僕は一皿分簡単に平らげてしまった。
「そう言えばデューク、お前最近嫌がらずにパーティーに出てるそうだな。」
運ばれてきたお茶を飲みながら、メチコバールが僕に話を振る。
「うん、ちょっと色々あってね。」
僕が曖昧に答えると、ソンメルソも話題に乗って来た。
「そうそう、前だったら嫌そうにしてるのに、最近はパーティーの時も機嫌がいいよな。
何が有ったんだ?」
何と聞かれても、何というか、メリーアンに会えるからパーティーの時も機嫌が良いのだけど、 何と説明すればいいのやら。
僕が口ごもっていると、回答が返ってこない物と思ったのか、 ソンメルソが今度は違う話題を振る。
「この分だと、今度有るパーティー、母君が居なくても行きそうだよな。」
そう、彼の言うとおり、またパーティーが有るのだけれど、僕は一人でも行こうと思っている。
前だったら、一人では絶対行かなかったよなと思いなががら。
パーティー当日。僕は早速メリーアンを探し出してテラスへと誘う。
テラスでは涼しい風が吹き、 何時もこんな感じだったら特に避暑に行く必要もないのではないかと思わせる。
「メリーアン、この所はどうですか?」
「この所ですか?
相変わらず占いの依頼をしてくる人は耐えませんね。
それ以外はさりとて。」
満天の星空の下、二人で手を取り合ってたわいのない話をする。
そこでふと、メリーアンが僕に訊ねてきた。
「そう言えば、今日は余りお食事を食べていないようですけど、どうかしましたか?」
「ああ、なんて言うか、余り食べる気分じゃないんだ。」
どういう訳か最近食欲も落ちてきている。
本格的に夏バテかなと思うのだけれど。
そんな僕のことが心配なのか、メリーアンは僕の手を強く握って辛そうな顔をする。
「そんな顔しないで、ちょっと夏バテしているだけだから、すぐに治りますよ。」
僕が彼女の手を撫でながらそう言うと、彼女は頭を左右に振る。
「私は心配なのです、貴方の周りに黒い影が見えていて…
まるで呪いじみた何かを感じます。」
メリーアンは益々僕の手を強く握って、いかにも占い師らしいことを言う。
「呪い?まさかそんな事無いと思いますよ。
僕には、心当たりがないですし。」
彼女の言葉を聞いて、この所の体調の不調を思い出し、少し不安になったが、 自分の言葉でそれをかき消す。
「そう…ですか、そうですよね。
きっと私の気のせい…」
僕と同じ様にそう呟くメリーアンの顔からは、不安な表情が消えないままだった。
今日の花は「黒百合」
花言葉は「恋の呪い」
その花言葉通り、僕が呪われていたとしたらどうだろう。余り縁のない話だと思うのだけれど。